先祖を祀る

石の顔

東光院萩の寺住職 村山廣甫

私の中学時代の国語の教科書に、マーク・トウェーンの『石の顔』という短編が載っていました。大きな岩山の麓の町の物語だったと記憶しています。

町を見下ろす岩山は夕陽に輝くとき、その先端に神々しい聖者の顔を浮かび上がらせることで有名でした。町に住んでいる人々はみんな、岩山に浮かび出るような尊い顔をもった聖者がいずれこの町にやって来て、必ず自分たちを幸福にしてくれると信じていました。

この町の中学校で教鞭をとる一人の先生がいました。彼も町に聖者がやって来ることを熱列に望んでいる一人でした。夕陽の中に浮かぶ聖者の顔を拝しながら、「聖者がおいでになったとき、それをお迎えするのにふさわしい人にならなければ...」と、彼は周りの人々に説き、自らも素直な心で物心両面での様々の誘惑を退け、他者へどのような善行をも惜しまず実行しました。町の人々は彼を慕い尊敬しました。「聖者が町にやって来る!」の叫び声に彼は胸を躍らせ、何度も町の通りへ飛び出しました。しかし、誰も彼の思う聖者とはほど遠い、単に高名なだけの神父や活動的であるだけの牧師たちで、失望させられるばかりでした。

年月を経て、ついに彼にも厳かな死のときが訪れました。死に望んで彼の思い残すことは、一生を通して待ち学んだ本物の聖者に会えなかったということでした。敬愛する先生とのお別れに、町中の人々が次々と集まってきました。そのときです。雲間から夕焼けの太陽が顔を出し、一条の光が岩山を照らしました。いつも拝み続けた夕陽の中に浮かび出たおなじみの“石の顔”を見て、この老いたる教師は、満足気にほほえみました。「ああ、聖者に会えた!」と。ところが、集まっていた町の人々は、死にゆくその彼の笑顔を見たとき、ハッと胸を打たれたのです。彼らは今、初めて気付いたのでした。何ということでしょう。その先生の笑顔こそ、みんなが待ち焦がれていた聖者の“石の顔”そっくりだったのです。

このお話は、当時の私にたいへんなショックを与えました。キリスト教と仏教との違いはあっても、この老いたる教師の生き方こそ、正しい信仰を持った人の「信」と「念」と「行」を教えていたからです。“聖なる世界”は、“ある”か“ない”かの問題ではなく、“信じる”か“信じない”かの問題なのです。

“石の顔”に象徴される聖者を信じる以上は、その来訪を望む不断の気持ちが大切です。これが「念」です。「信」と「念」を持てば、当然その人の生活は、その信念に基づいた「行」で満たされていくことでしょう。尊い聖者をお迎えするのにふさわしい人となりを持ちたいと、念じつつ送る日々の生活こそ「行」なのです。聖なる世界への「信」と「念」と「行」を持つ人は、この老いたる教師のように、必ずその聖なる世界の住人となり、それを手に入れることができるのです。いつの間にか、町の人々がハッと胸を打たれた聖者の顔を持つ人になっているのです。

思うに、この『石の顔』のお話にある、夕陽を浴びて岩山に浮かぶ聖者の顔は、“ご先祖”さまをおまつりすることにより、それを通して私たちが必ず出会う“永遠の生命(いのち)”すなわち“み仏”そのものであると考えられます。この聖なる仏の世界を信じるとき、その世界に思いを巡らして、み仏を賛嘆し、出会いの喜びを切に希望して、期待に胸をふくらませることでしょう。

聖者が私たちの町にやって来ますようにと常に願っている町の人々の気持ちこそ、私たちが仏を念ずる気持ちと変わりありません。また、聖者をお迎えするのに、ふさわしい人になろうと努カする中学校の先生の日々の行いは、み仏を信じてみ仏を念じ、それゆえにみ仏の行事である仏事法要を営む、私たちの日送りに比することができます。

このお話は、“聖”なるものを信じてその来訪を念じ、お会いできたときの心の準備を日々怠りなく努めていると、いつしかその人は“聖なる”世界の住人となり、ついには、自分自身が聖者そのものとなっていることを教えているのです。私たちも“永遠の生命”であるみ仏を信じ、その来迎(らいごう)を念じて仏事法要に精進すれば、安心立命(あんじんりゅうみょう)を得ることができ、永遠の生命であるみ仏の世界に住んで、悔いのない人件を送ることができるのです。「信」「念」「行」の三つこそ、私たちが、ご先祖をおまつりして、それを通して永遠の生命である“み仏”に出会うための、いわば大切なパスポートなのです。

合掌
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