古来からの正式な伝統に則った永代供養が営まれます。
お正月さまはご先祖さま
日本人は現世中心の民族であるという評価が、国際社会の通説となりつつある現在、それでもなお、世界で最も情操豊かな民族はと問われれば、やはり“日本人”という答えが返ってきます。穏やかで繊細な風土の中で、私たちの祖先たちは、古来より御霊(みたま)まつりとしてのお正月とお盆を一年の生活の中でも大きな節目として、私たちにその“思い”を伝えてくれました。
お正月の初詣での光景に接して、そのような風習のない外国人は、一様に驚きの声をあげます。わが国では、お正月には「年神(としがみ)さま」あるいは「お正月さま」、地方によっては「歳徳神(さいとくしん)」などと呼ばれている神さまが、各家に帰ってこられるので、それをお迎えしておもてなしする必要があります。そして、このとき帰ってこられる「お正月さま」とは、実は「ご先祖さま」のことなのです。したがって各家が祭(斎)場となるために、十二月十三日の事始(ことはじ)めに、わが家の煤払(すすはら)いの大掃除を行い、ご先祖さまをお迎えするための準備をしなければなりません。これは、お盆行事において、七月七日の七夕に、ご先祖さまの霊(みたま)をおまつりするための、精霊棚を作ることと、まったく同じ意味を持つものです。さらに、お正月に立てられる「門松」は、お正月さま(ご先祖さま)の依代(よりしろ)であり、また、お飾りする「鏡餅」には、今年のお正月さま(ご先祖さま)の霊が宿ると考えられているのです。一月十一日の鏡開きでお餅を食べるのは、このお鏡餅に宿るご先祖さまの、その年の霊をいただいて、自分の生霊(いきみたま)をリフレッシュし、今年一年元気で頑張っていこうと縁起付けることでした。その意味で、目上の人から渡される「お年玉(霊)」も、本来は鏡開きのお餅のことだったのです。
お正月には、このお正月さまをご供養するために神人共食(しんじんきょうしょく)――みんなで持ち寄った食物を、年神さまと人、すなわちご先祖さまとその家族が一緒に食べることが大切とされました。ですから、お正月に使う箸は、両端が細くて丸い、柳箸です。私たちが一方の端で食事すると、もう一方の端で同時にご先祖さまが食事されると観念されているのです。
わが国では、お盆やお正月には外に出ていた子供たちも帰ってきて、そのとき持ち寄った食物をいっしょに食べました。これが、今に伝わるお中元やお歳暮の本来の姿です。ご先祖さまをわが家にお迎えし、おもてなしするという、ご先祖供養について大切とされた私たちの祖先の“思い”とは、「神(仏と人とが一緒に食事すること」であったことがわかってくるのです。
ところで、家に帰ってこられるご先祖さまも、正月には、お正月さまと呼ばれる和霊(にぎみたま)の年神さまとして、ご先祖さまとしての集合霊として、帰っておいでになるわけですが、お盆には、新旧それぞれが、個性を持ったそのままの姿で帰ってこられるものと考えられています。
古来わが国では、亡くなったばかりの人の荒霊(あらみたま)は、たいへん荒々しくて崇りが多く、恐ろしい霊魂であると信じられてきました。天皇陵の大規模な古墳を見れば、その鎮魂がいかにたいへんなことであったかを、うかがい知ることができます。一般に、没後四十九日間あるいは百日間は、最も荒れていると考えられていたので、仏教では特に、この間の荒霊を「精霊(しょうれい)」と呼んで、とりわけ熱心にご供養することを説いています。
しかし、この荒霊も三十三年あるいは五十年、ご供養し続けて霊鎮(たましず)めをしていくと、徐々に和霊となり、ついには、その個性を失ったご先祖さま(先祖代々)としての集合霊になると考えて、一生懸命おまつりされてきたのが、私たちのご先祖たちでした。したがって、この祖先の思いを継ぐ立場にある子孫としての私たちが、いまだ個性を持った先人の霊を、集合霊であるご先祖さまに昇華していただくために、おまつりしていくことはたいへん重要な責務であるといえるのです。
なお、民俗学的には、三十三回忌もしくは五十回忌をまだ迎えるに至らない霊を、片仮名の“ホトケ”と呼び、弔い上げが終わってその個性を失って集合霊となった霊を“カミ”と呼んで、“カミ”は村の神さま、土地の神さまになると信じられています。今や夏の風物詩である七夕まつり、大文字焼きや灯籠流しは、わが家に帰ってこられるご先祖さまをお迎えし、お見送りするための行事であることはいうまでもありません。祖先の伝えてくれた壮大な智恵と思いがこれらの行事に結実し今日に至っているのです。本書では、ご先祖さまをおまつりする四季の仏事法要と、年回法要について、可能な限りその根拠とその実行方法をとり上げました。
ご先祖さまを持たない人はありません。霊魂とは、このご先祖さまが持っておられる“思い”であると私は考えています。萩の花を咲かせ続けた先人たちの思いを推し量って、後に続く者が、その思いに報いるように努力精進した結果が、今、当山に咲いている萩の花であるように、ご先祖さまの“思い”を推し量って、それが永遠の生命である“仏のいのち”に昇華していただくように、後に続く者が善行を積んで、その功徳をこの霊にご回向していくことこそ、ご先祖さまをまつる本来の姿なのです。
古来からの正式な伝統に則った永代供養が営まれます。