先祖を祀る

お彼岸会とお墓参り

東光院萩の寺住職 村山廣甫

お彼岸会

中国の善導大師による「観経疏(かんぎょうしょ)」の「二河白道(にがびゃくどう)」の例(たと)えは、煩悩の此岸から、彼岸の浄土へ生まれる道を、実に絵画的に説いたものでした。わが国の浄土教はこれを基調に発展し、「まっすぐ来たれ」と呼びかけてくる“招喚(しょうかん)の弥陀(みだ)”と、「迷わず行きなさい」と勧める“発遣(はっけん)の釈迦”という二尊信仰をもたらします。

しかし、時代が下がるにしたがって、阿弥陀如来が彼岸から呼ぶだけでは衆生を救済することは十分でないとされ、ついに、観音・勢至をはじめとする二十五菩薩を伴って、この世まで迎えに来られるという「来迎図(らいごうず)」が生み出されるに至ります。このように彼岸と此岸との宗教的距離は、人々の意識としては大幅に縮まって今日に至っています。

日蓮聖人の『彼岸抄』に、「この七日のうちに一善の小行を修せば、必ず仏果菩提を得べし。余の時節に日月を運び功労を尽くすよりは、彼岸一日の小善はよく大菩提に至るなり。誰人かこの時節を知りて小善をも修せざらん」とあります。

お彼岸会には、単にお仏壇を荘厳し、ご先祖のお墓参りをするだけでなく、菩提寺や大きなお寺の「お彼岸の法要」にお参りすることが大切です。この世を超えた彼岸に想いをめぐらし、亡き人を偲んでご供養するとともに、ご法話を聞いたり、あるいは仏教の書物を読んだりして、私たち自身が六波羅密(169ページ)を実践する機会を持つことが必要だからです。お寺の礼仏、修行、教化道場としての面目が、お彼岸会には十二分に発揮されています。「お寺参り」は、ご先祖を通して仏に出会う、供養の心にかなうのです。

なお、お彼岸には、お盆のような、とりたてて特別なお飾りはありません。お彼岸の入りになりますと、お家のお仏壇をきれいに掃除して、季節の初物や故人の好物などをお供えします。また、「お彼岸団子」や「おはぎ(ぼたもち)」、「五目ずし」なども作って、お仏壇をはじめ、お墓にもお供えします。お中日、またはその前後に家族そろって、お墓参りをして、ご本尊とご先祖をご供養される風景は、テレビのニュース等を通して、日本の風物詩となっています。

新仏(しんぼとけ)のあるときは、特に丁重に行わねばなりません。お寺の外にお墓がある場合、ご先祖のお墓にお参りすると同時に、日頃お世話になっている菩提寺のご本尊さまにもお参りしましょう。ご本尊さまのご加護により、ご先祖の精霊(しょうれい)はお守りされているのです。この場合、六波羅密の実行として、読経をお願いし、お布施をさせていただくことも大切です。

春と秋の彼岸の一週間に仏事を行うと、仏の功徳であるといわれます。親戚や知人の家に新仏があれば、ご遺族を訪れ、お仏前に花をたむけ、お線香をたてて、回向させていただきたいものです。

お墓参りとその作法

古来の日本人の霊魂観

わが国の古代社会では、お墓は必要とされていませんでした。亡き人の遺骸は遺体として残っているのではなく、天地自然の中に溶け込んでしまうものであり、母なる大地の恵みの中で、「土に還る」ものと考えられていたのです。古来「遺棄葬(いきそう)」が一般的だった所以(ゆえん)です。

ところで、死者の肉体から離れたばかりの“新霊(あらみたま)”は、生きている人の“生身霊(いきみたま)”に仇なす恐ろしい死霊(しりょう)であると、人々は考えていました。怨霊(おんりょう)によるタタリを極度に恐れ、天皇の新霊ですから「凶癘魂(きょうれいこん)」として怖がったのです。

人間が社会的存在である限り、知らない間に人にも迷惑をかけたり、小虫を踏み殺すことだってあるでしょう。また、生き物の命を奪って食べなければ、一日たりとも生きていけません。「小罪無量(しょうざいむりょう)」の生身霊なのです。

この罪を重ねなければ生きてはこれなかったという、どうしようもない「罪」意識、その深い思いが、死後の霊を苦しめて、そのため新霊は、大いに荒れると考えられたのです。

そのため私たちのご先祖は、この荒々しい新霊が鎮まるよう、「殯(もがり)」による鎮魂の儀式を営みます。遺骸を安置した上に、その荒ぶる霊魂をほかに逃がさないための仕切りをし、比較的長い間、風化していく遺体を中心にしてお供え物をあげたり、呪文を唱えたり、「天の岩戸伝説」にあるようにお神楽(かぐら)をしたりして、荒ぶる新霊が鎮まるよう祈ったのです。

このようにして一定期間の供養を経た霊(みたま)は、祖霊という存在に昇華し、今度は逆に子孫を守ってくれる守り神になると信じられていました。いわゆる「霊魂(れいこん)の昇華(しょうか)」が起こり、死者の持っていた生前の「個性」は、その死者の「罪」の浄化とともに消えていくわけです。殯は風葬の原風景であるといわれています。風化していく遺体を供養しつつ、人々は亡き人がご先祖さまに昇華されるよう祈り続けたのです。

人間は物質的に存在するだけでなく、霊的に生きるものだとよくいわれます。物質である肉体を通して行われる肉体の働きは、そのとき、もう物質の次元を超えているのです。たとえば、「愛」がそうです。愛は単なる性交渉だけではありません。そこには「思い」に動かされた一種の“祈り”があります。昔の人々は、肉体という物質は土に帰ってなくなっても、「思い」は残るものと認識し、この死者の「思い」を「霊(みたま)」として位置付けたのです。

萩の寺の霊場ご本尊として鎮座される、後醍醐天皇ゆかりの「こより観音」さまは、足利尊氏の謀反により都を追われた、帝の強烈な怨執(おんしゅう)の“思い”を鎮めるため、南朝の女官たちが、天皇の念持仏であった十一面観音像に、お写経供養されたことで有名です。荒ぶる帝の新霊と、霊魂昇華のご供養をうかがい知ることができる好事例です。

このように、古き日本の葬送儀礼をながめるとき、古来私たちのご先祖は、亡き人の遺体よりも、その霊魂の行方を重視していたことがわかります。つまり、ご供養のほうを重んじたのです。石碑すら建てないことが、古来、日本人の死者に対する、「土に還す」作法の秘密だったといえましょう。

わが国には、千三百年近い火葬の歴史がありながら、一般化したのは、わずか百年以内のことで、長い葬送儀礼の歴史のなかで、ごく短い時間にしかすぎません。それまでは全国的に土葬こそ、わが国葬送の中心だったのです。

土葬する場合は、霊屋(たまや)や竹矢来(たけやらい)の中に埋蔵された遺骸の上に、割り合い大きな石を置きます。死霊が出てこれないよう、鎮魂のため封じ込めるためのもので、墓石ではありません。地中に埋められた遺体は、やがて地中で白骨化していき、その霊(みたま)は、年忌法要を勤めあげ、三十三回忌ぐらいになると、「ご先祖」さまに昇華します。

ご先祖さまとなられた霊は、この「埋め墓」とは別の「参り墓」におまつりされます。埋め墓は、「捨て墓」といわれ、そのときよりこのお墓へのお参りはなくなってしまいます。このようなおまつりの仕方を、民俗学的に「両墓制」といっていまう。昔、参り墓には、霊の依代(よりしろ)として「常盤木(ときわぎ)」を一本植えました。これが、神の宿る神聖な木、ヒモロギ(神籬)です。

古代の供養から仏教的供養へ

日本に仏教が伝来するのは、『日本書紀』によると、欽明天皇一三年(五五二年)とあります。しかし、それよりも早く、宣化天皇三年(五三八年)に伝えられていたという説が有力です。わが国に仏教が伝来するとともに、それに伴い今までにないまったく新しい「火葬」の方法が伝えられました。

「仏舎利(ぶっしゃり)」という言葉があるように、釈尊は、インド古来の法に従って火葬に付されました。そのご遺骨は、仏弟子たちの手によって、八つに分けられて残灰と器に残ったものを含めて十個がそれぞれ土中に埋められ、そこが「聖地」とされました。その上には金属や石、木製などの塔が建てられ、釈尊を顕彰したのです。これをストゥーパと呼んで、わが国の卒塔婆や卵塔墓、五輪塔墓のルーツになったことは、すでに述べたとおりです(102ページ)。

仏教では、生きていることを、五大(地・水・火・風・空)が仮に和合しているとみます。死ぬということは、この構成要素が分解して元の世界に帰ることです。仏教では、このことの繰り返しを宇宙現象とみて、「永遠の生命」と呼んでいます。したがって、五輪塔は、大宇宙そのものであり、永遠の生命そのものの象徴なのです。釈尊のご遺骨(仏舎利)を奉安し、顕彰したストゥーパの故事にならって、仏教徒は五輪塔を建て、亡き人のご遺骨を顕彰するようになりました。

五輪塔は下方から、方(地・大日如来)、円(水・阿閦如来)、三角(火・玉生如来)、半円(風・阿弥陀如来)、宝珠(空・不空成就如来)を積み上げて造ります。歴代の住職の眠る卵塔墓も、同じ五大をあらわすお墓です。なお、宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、もともと宝物を入れる箱の塔で、善を称(たた)え悪をさえぎる宝篋印ダラニを納めました。下から基壇、基礎、塔身、笠、相輪の五つにより構成されています(104ページ)。

わが国では、文武天皇七年(七〇三年)、初めて持統天皇のご遺体を茶毘(だび)(火葬)に付しました。以来、火葬の法は、徐々に浸透していきますが、仏教徒の自覚とは無縁だったようで、後世の親鸞聖人ですら、自分が死んだら、遺骸を加茂川に流すよう指示した記述がみられます。

萩の寺の建立縁起は、天平七年(七三五年)に行基(ぎょうき)大僧正により、大阪中津の地で、わが国最初の民衆火葬が営まれたことをしるしています。京都の鳥辺野(とりべの)や化野(あだしの)と同じように、当時の大阪中津の地は、「遺棄葬」「風葬」の地であったのです。さらに、時代が下るにつれ、「霊場」に結縁するための火葬が盛んとなります。これは、高野山奥之院の、三十万基にのぼる巨大な墳墓群に、現在、その例をみることができるでしょう。

根強かった日本古来の「土葬」の風習も、明治以降は、火葬が多数を占めるようになり、現在は葬儀の八十パーセント以上が、火葬によるといわれています。

ここに、日本古来の両墓制は、その意義を失うに至ります。土に還るまで追善供養のため、遺骸を埋めておく「捨て墓」と、それ以降の家の守り神となられた「ご先祖」さまをおまつりする「参り墓」という区別は、不用となってしまうのです。

仏教の葬法である「火葬」の伝来により、わが国のお墓の形態は、釈尊の仏舎利を顕彰したストゥーパの故事にならい、その「永遠の生命(いのち)」のシンボルとして、卒塔婆や五輪塔の出現をみるに至りました。

新霊(あらみたま)の罪の浄化を図った古代の供養も、仏教によりさらに高められていきます。生前の個性が、罪とともに土に還すことによって、次第に消滅していくという、霊魂浄化のための供養だけでなく、世界宗教としての仏教の説く、「永遠の生命」への礼拝供養となっていくのです。

人は業をつくります。永遠の生命の中に入るため、葬儀を行ない、お墓を建ててご先祖を供養し、その菩提を荘厳しています。

私たちが、今、何十億の先祖、両親を縁として生まれ、仏さまの願いによって生かされていること、三世の生命(過去・現在・未来)のつながりの中に、不思議なご緑で肉体となって今ここにあること──お墓にお参りすることは、私たちが、それらの事実を素直に受け入れて謙虚になり、自分を自分たらしめている因縁に対して、いいかえれば仏教の説く「永遠の生命」に対して礼拝・供養することなのです。

お花を供え、香を焚き、美味を供え、話しかけましょう。お墓参りは亡き人のためだけに行っているのではありません。亡き人も、自分をも含めた大宇宙、仏教の説く「永遠の生命」を讃え、礼拝し、供養することにほかならないのです。素直なまごころを込めたお墓参りは、私たちに「報恩感謝」と「生きる力」をわかせてくれることでしょう。

なお、茶毘(だび)に付した遺骨の一部を、本山に納骨するだけでお墓を持たない、主として浄土真宗に多かった「無墓制」のケースは、遺骸より霊(みたま)の行方こそ問題にして、供養の実践を第一とする日本古来の風習を、宗旨の安心として取り入れて仏法への信心こそ第一と考えた教義の帰結といえるでしょう。

平成三年の秋、法務省から「葬送のための察祀で節度をもって行われる限り問題ない」と、公式見解が出されたことにより、遺骨を海や山などにまいたりする、「散骨」が認められるようになりました。埋葬のかたちは、これからも変化していく可能性があるといえるでしょう。しかし、いかなる場合も、「供養のこころ」を忘れるものであってはならないでしょう。

お墓参りの心得

何度もいうようですが、日本のお墓のこころが、あくまで遺骸にこだわらず、霊魂の行方こそ問題にして、ご供養こそ第一と考えてきたことを忘れてはなりません。お参りを続けてこそ意味あるお墓であり、そのお墓にどのようにご供養し続けていくか、子孫にもその大切さを伝えていくことが大切です。機会あるごとに参詣して、ご先祖に連なる私たちが「生きている」ことの証(あかし)であるような、みずみずしさに満ちたお墓でありたいものです。

お墓参りができるということは幸せなことです。お墓参りができないということは不幸であり、淋しいことです。お彼岸は、今日では、お寺参りやお墓参りをして、ご先祖の霊(みたま)をご供養し、彼岸に達するよう念ずるものと受け止められ、すっかり定着しています。そこで、この大切なお墓参りに、ぜひ心がけなければならないことを、以下に列記してみましょう。

1お墓参りは、いつしてもよい

ご先祖のご遺骨が永遠に眠る聖地として、お墓はご先祖をご供養するだけでなく、仏さまの永遠の生命の象徴として、自己の生き方の反省と報恩感謝のまことを捧げる礼拝所でもあります。年回法要や祥月命日のときだけでなく、春秋の両彼岸、盆、正月の四度はぜひお参りしたいものです。

結婚や就職など、慶事のときもお参りしましょう。特に、お彼岸会は、今ある自己の生命──勝縁をみつめることと、私たちが生かされている大きな生命を感じていくことの尊さを、子供たちにも伝えられるよい機会です。お彼岸の一週間は、到彼岸──六波羅密の実践(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)に務めて、徳を磨き、ご家族そろってご先祖の菩提を弔いましょう。家族の日暮らしを墓前に報告し、私たちが毎日の生活の中で、正しい生き方を学ぶまたとない機会です。

2お墓参りは、まずお掃除から

ゴミや落ち葉を拾い、草を取り、墓石に水をかけ、タワシで洗い流し、浄布(雑巾ではない)でふき取ります。特に水鉢は、浄水をお供えする所ですからていねいに洗います。墓石が高くて洗えないようなときは、礎石(そせき)に上って掃除されてもかまいません。線香立てなども、先の尖ったもの(小刀など)を用意してきれいにします。文字が彫刻されているところなどは歯ブラシなどで磨くとよいでしょう。

お墓がきれいになったところで、お持ちになったお供物などを半紙を下に敷いてお供えします。故人の好物を供える場合、五辛(ごしん)(ニラ、ネギ、ニンニク、ラッキョウ、ハジカミ)や煙草、酒類、獣肉などは控えましょう。酒、肉、五辛は、古来仏さまの忌み嫌うものとされ、清々しいものをお供えすることが大切です。あとは、お灯明、お花、お線香を供えます。

風の強いときは、お灯明は一度つけたら消えてもかまいません。ロウソクに半紙を巻いてマッチで火を付けると、ほとんどの場合消えないものです。お線香は、半紙を燃やして、その火で付けるとよいでしょう。お花は、お仏壇にお供えする花と同様に、トゲのある花や匂いの強い花は好ましくありません。日本ではシキミが高貴とされ、仏典ではハスの花やキクの花が重んじられています。

最期にお水を「水鉢」に入れたり、石塔にかけます。お水は、閼伽(あか)(梵語アルガ)と呼ばれ、本来清浄をものとして、人の仏性をあらわし、すべての生命の源として、何ものをも洗い流して煩悩を滅除するとして、仏教では大切にされています。このお水を石塔にたっぷりかけます。死者の霊を清めるという、古代の「浄化」儀礼の名残ともいわれています。

3墓前では必ずお数珠をかけます

お数珠は仏教徒としてのシンボルですから、いつも身に付けてください。病魔退散、開運招福の意味もあって勝縁をもたらす宝具です。

最近はブレスレットになったお数珠も市販されています。お数珠を手にかけ、合掌して静かに礼拝し、亡き人を追悼します。お墓を見下ろしたりせず、仰いで礼拝するようにしましょう。そして、教典を開いて、日頃お勤めしているお経を挙げます。読経のできない方は、せめて宗派のご聖号を念じましょう。

一般的には「南無帰依仏(なむきえぶつ)、南無帰依法(なむきえほう)、南無帰依僧(なむきえそう)」、禅宗では「南無釈迦牟尼仏」、浄土宗・浄土真宗「南無阿弥陀仏」、天台宗「南無宗祖根本伝教大師福聚金剛」、真言宗「南無大師遍照金剛」、日蓮宗「南無妙法蓮華経」などと唱えて、ご回向するのです。

4お墓参りは、まずお寺のご本尊から

自分の家のお墓参りにばかり直行している人は、お墓参り自体が、み仏の供養の一つであることを知らない人です。ご先祖さまや亡き人の霊(みたま)をお守りくださっているのは、菩提寺におわしますご本尊さまです。必ず菩提寺に寄って、ご本尊さまにお参りしましょう。お墓は亡き人の霊(みたま)のみをおまつりしているところではありません。仏さまの聖地として永遠の生命の礼拝所でもあるのです。さらに、無縁仏さまにご供養する心の広がりもほしいものです。

なお、菩提寺が遠隔地のため、お参りができないときは、あなたのお供養の気持ちをあらわすことです。近くのお寺に事情を話し、お参りさせてもらいましょう。

5「させていただく」お参りを

「お参りすればいいんだ」と割り切っている人、「お参りしてやる」というような気持ちで、墓参される方がたまにおられます。そうしたことはすぐに分かるものです。なぜでしょう。お墓参りもお供養であることを忘れてはなりません。

ご供養とは、供給資養(きょうきゅうしよう)の略で、仏・法・僧の三宝および父母、師長、故人などに供物を供給し、これを資養することを意味します。捧げる供物の大小に問題はなく、供物を捧げる行為にまごころが込められていることが大切なのです。人に見せるものではないのですが、およそ「お参り」は、他の人が見て菩提心を起こす、すなわち、他の人もお参りしたいという気持ちが起きるような、「お参り」をすることが大切です。大本山永平寺での、僧の厳しい修行もそのためです。

形だけそれらしくすればという考え方は、他の人にも感動を与えず、ましてや、み仏となられたご先祖さまのご供養には絶対なりません。お花やお香、浄水を手向ける姿、そこにあなたのまごころがあるのです。私たちは生かされて生きているのです。「させていただく」という謙虚な気持ちで、お参りしたいものです。

6行儀のよいお参りを

備えられている手桶やバケツ、ひしゃく、ほうき、タワシなどは、あなただけのものではありません。定められた場所にきれいに戻しましょう。

枯れた花、お線香の燃えかす、腐った果物など生ゴミは、ビニール袋を用意してゴミ箱へ入れるよう心がけましょう。

なお、墓前でのお供え物は、お参りが済んだら“お下がり”として持ち帰りましょう。お供え物が腐ったままになっていたり、鳥が食べ散らかしたりして汚くなっているのは、墓地全体の清浄さを汚します。

供養のために建てていただいたお塔婆の片付けは、お寺の指定するしかるべき場所に運びます。後日お寺によりお焚き上げされます。

●お墓にまつわる迷信

お墓は単なる遺骨の収蔵庫ではなく、ご先祖の霊(みたま)(いのち)の宿る聖域です。そこでは、何よりもお供養のこころが先行せねばなりません。単に亡き人の霊を鎮めるための祈りだけでなく、ご先祖への供養を通して、生死を超えた釈尊の「お悟り」と一つになることこそ大切なのです。ところが最近、統計上の事象であると主張する「墓相学」にまつわる相談が多く寄せられるようになりました。

仏教では、お墓の形など問題にしていませんし、墓相上は不可とされる木が茂ることは、わが国では古来死者が成仏したことの確証でした。天皇家の御陵に茂る樹海の存在を彼らはどう説明するのでしょうか。また、吉相、凶相の判断も墓相家によっては正反対にくい違います。いま墓相家たちのいうそれぞれの吉相墓を一堂に陳列すれば、みなばらばらな墓石群が出現することでしょう。統計から導き出された結論との間に飛躍がありすぎて、とても「学」などと呼べたものではないのです。

世にも不思議なお墓などありません。人間の弱さにつけ込んだり、人を惑わしたりすることは、世界宗教としての仏陀のみ教えに反します。彼らのいうお墓の形、大きさ、向きなどによって、その家に幸、不幸、災いがもたらされるという考え方は、仏教の教えに反する迷信といえましょう。

ある有名な大病院の院長がそのお父さんのお墓を郷里に建てました。墓相家の指導で造成したその墓所は、地形上、崖をハシゴで上って礼拝するほかに方法がありませんでした。その話を聞かれた小田原、最乗寺の今は亡き余語翠巌老師は「吉相の方角を守るというても、南半球では反対になるぞ」と笑っておられたのを思い出します。迷信といっても信じてしまえば、本人にとっては正信です。いたましいことです。

人は業をつくります。そして、仏教の説く永遠の生命の中に入るために葬儀を行い、ご先祖の菩提を願って塔を建てて、ご供養してまいりました。

お墓は、ご先祖をご供養することを通して、仏さまに出会う“えにし”ともいうべきもので、お墓の方から向きが悪い、形が悪いといって、ご供養する人に仇なすというようなことは考えられません。要はお墓にしっかりお参りしてご供養のまことを尽くせば、迷信に惑わされることなどは、絶対にありえないことなのです。

おはぎ(ぽたもち)、彼岸団子と彼岸花

お彼岸になくてはならないお供え物として、春は牡丹(ぼたん)、秋は萩(はぎ)になぞらえたお餅を作って、お仏前やお墓にお供えします。これは、餅米八とうるち米二の割合を混ぜてご飯を炊き、お粥でもなく、普通のご飯でもない中くらいのものを半搗(つ)きにして、手で円餅(まるもち)のように丸めたものに、小豆(あずき)のアンやキナ粉や黒ごまなどをまぶして、お中日にお供えします。柔らかくもなく固くもないご飯を炊くということは、左にも右にも片寄らない、お彼岸の精神が生かされているのです。“ぼたもち”は、牡丹の花のように丸く大きめに作り、“おはぎ”は、秋の七草の萩の花を形どって、小ぶりで長めに作ります。また、このほかに、“お彼岸だんご”をお供えして、近所に配ることもあります。こちらは米を粉にして、こねて丸めたもので、奈良・平安時代に中国から伝えられた唐菓子の一種です。もともとは、チョウジ、コショウ、桂心、ビャクダン、ヒハツ、ニッケイ、ササジンコウ、カンゾウ、ショウガ、カキ、塩、砂糖の十二種類を米粉と小豆アンに混ぜて丸め、油で煮たものでした。ここで十二種類を使うのは、仏教的な意味からで、十二縁起をあらわしています。お団子はその形のように、心のすがたを表わすと同時に、昔の人達が大切にした“お米”でつくります。亡き人に最高の食物をさし上げたいという祈りの気持ちと、食べやすいようにという優しい思いやりの気持ちからお供えするのです。

また、お彼岸に供える食べ物は、すべての幸せを願い「禍い転じて福となす」ように、との祈りが込められています。

お墓には、よく彼岸花(曼珠沙華(まんじゅしゃげ))が咲いているのを見かけます。根にアルカロイドという毒があり、忌避される植物のようですが、この彼岸花には悲しい歴史があります。その昔、ある僧が非常用食料として墓に植えさせ、飢饉に備えたものです。よく晒(さら)せば質のよいデンプンが取れ、悲惨な大飢饉のときなど、人々はこれを食べて命をつないだのです。

合掌
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