先祖を祀る

何をどうようにすべきか

東光院萩の寺住職 村山廣甫
飲まずとも 水を供えたい
食べずとも 美味を供えたい
見えずとも 花でかざりたい
答えずとも 語りかけたい
みかえりを 求めぬ姿は美しい

供養のこころ

萩の寺のご本尊は、十一面観世音菩薩さまで、後醍醐天皇の念持仏と伝えられ、通称「こより観音」として有名です。この後醍醐帝は深く仏法に帰依し、かつ研究もしておられたので、あるとき、鶴見の大本山總持寺(そうじじ)を開創された瑩山(けいざん)禅師さまに、ご自身の仏教に対する疑問を下問されています。

そのとき禅師のお答えがまったく素晴らしかったので、天皇はたいへん喜ばれ、紫衣(しえ)を下賜されるとともに、「曹洞出世(そうとうしゅっせ)の道場」のご綸旨(りんじ)を発せられました。このご綸旨をもって、わが国「曹洞宗」公称の最初とされています。

天皇のご下問の一つに、「人は亡き父母のために霊膳をあげ、茶湯(ちゃとう)を献ずるが、少しも減っていない。それでも供養になるのか」というのがあります。禅師はお答えになりました。「梅の花は壁を隔てても匂ってきますが、花の芯(しん)は少しも損傷しておりません。また、私どもの鼻にも何の形跡も残りません。心が通じるとは、まさにこのようなものです。供養とは、目に見える変化のあらわれを期待するのではなく、それは雨露が自然に草木を潤し育てるように、無心に行われるのがほんとうです。陛下が、もしこれでご納得いかないのでしたなら、今一つたとえを申し上げましょう。私どもは手紙を読んで相手の用向きを知りますが、文字や紙は少しも損耗しておりません。まごころさえあれば、それは、必ず所念(しょねん)の精霊(しょうれい)に通じるのです」

戦地に赴(おもむ)いたわが子のため、陰膳(かげぜん)を据(そな)え続けたお母さんに、それを知ったとき感激しない子はいないでしょう。同じように、供養の誠(まこと)を捧げる私たちに、ご本尊やご先祖がお喜びにならないはずはないのです。

もちろん、陰膳のご飯もお供え物も、何一つ減りはしませんが、私たちの供養の心は、必ず相手方であるご先祖さまに通じているのです。

命日(めいにち)(忌日(きじつ))と月忌(がっき)法要

  • 故人が亡くなった日のことを「命日(めいにち)」と呼び、毎年めぐつてくる忌日のことを「祥月命日(しょうつきめいにち)」と呼んでいます。「祥」は「正」のことで、中国の『礼記』の小祥忌(しょうじょうき)、大祥忌(だいじょうき)の「祥」の字をとったものです。命日は仏の誕生日だとも考えられています。また命日を別名「忌日(いみび)」と呼ぶのは、仏事法要以外の諸々の雑事を慎(つつし)む(忌む)からです(286ページ)。その日はご本尊やご先祖に想いをいたし、報恩感謝の生活を送るよう務めたいものです。
  • 月ごとにめぐってくる命日(忌日)を「月忌(がつき)」と呼びます。毎月の命日──月忌には、菩提寺に「月参り(つきまいり)」をしていただき、法要を務めるのが本来の姿です。生前その方が好きであった物をお仏壇にお供えして、ご冥福をお祈りしましょう。また、お墓参りをしてあげたら、どんなにか喜ばれることでしょう。祥月命日のときは、年忌にはあたらなくても、お仏壇にはお霊膳を供え、できればお塔婆供養(とうばくよう)をして、亡くなった方のご冥福を祈ってさし上げることも大切です。
  • 「お逮夜(たいや)」は、命日の前夜を指し、迨夜、大夜、宿夜とも書きます。年忌や月忌の前夜に法要をすることを逮夜法要と呼んで、宗派によっては、忌日よりも重くみるところもあります。『十王経』によると、人が亡くなった初七日から四十九日(満中陰)まで、さらに、百力日、一周忌、三回忌の間は、それぞれ閻魔(えんま)さまを代表とする冥界の裁判官十王のうち、それぞれ一王の前に出て裁きを受けることになっています。そのために亡くなった方の罪を少しでも軽くしようと、それぞれの忌日の前に法要をして、その功徳(くどく)を亡き人に追善する、というのが逮夜法要の意味です。「法要は忌日より遅れないように営むものだ」というのも、この意味からいわれるのです。

お塔婆(とうば)を建てる

塔婆は「卒塔婆(そとうば)」ともいわれるように、インドの古語であるサンスクリット語のストゥーパ(stupa・塔)、パーリ語の“ツーバ”を音写しています。ストゥーパは、お釈迦さまのご遺骨─舎利(しゃり)─を安置して、その基壇の上に鉢を伏せたような形に土を高く盛り上げ、その上に権威の象徴である傘蓋(さんがい)を立てて供養したものです。

お釈迦さまのご遺骨は、最初はいわゆる「仏骨八分(ぶつこつはちぶん)」といわれるように八つの王国に分けられたお釈迦さまのご遺骨と、さらにそれを納めた容器そして残った灰を礼拝し供養するため、十基のストゥーパが建てられました。さらに、アショカ王のときには八万四千の塔を全インドに建て、それぞれにご遺骨を安置供養して、その功徳をもって仏教を広めていったと伝えられています。人々はこの塔を中心に集まり、釈尊を偲び、礼拝供養して、仏・法・僧の三宝に帰依していきました。

大乗仏教の大きなうねりは、ストゥーパ礼拝を中心にわき起こったのです。この土まんじゅうともいうべきストゥーパは、仏教がインドから中国に伝播するにつれて、中国古来の楼閣(ろうかく)建築とも融合し、わが国では多宝塔や五重塔へ、また、墓石の宝篋医印塔(ほうきょういんとう)や卵塔(らんとう)へと変化するに至ります。

また、この塔の中心に安置されていたご遺骨を納めた舎利瓶(しゃりびょう)は、宝瓶塔となり、今日の墓石のもととなっている、五輪塔(ごりんとう)へと結実していきます。私たちが法事のときにあげる板塔婆は、この五輪塔の形を写したものです。

仏教では、この宇宙の万物(ばんぶつ)は、五輪(五大)、すなわち、地(かたい性質)、水(湿の性質)、火(熱の性質)、風(動の性質)、空(それらを互いに存在させているもの)の五つの構成要素からなっていると説いており、それぞれ方(地)、円(水)、三角(火)、半円(風)、宝珠(空)の形に象徴させています。

今日見かける代表的な塔婆には「角塔婆(かくとうば)」、「板塔婆(いたとうば)(平塔婆(ひらとうば))」、「経木塔婆(きょうぎとうば)」、の三種があります。本来は、角塔婆であったようですが、塔婆が普及するにつれ、現在では板塔婆が主流となっています。

いずれも、上部の刻みが五輪塔に造られており、永遠のいのちを表象したみ仏のお姿をあらわしているのです。

この塔婆に戒名(法名、法号)やお経文を印して回向する「お塔婆供養」は、仏塔として、ストゥーパを建てる、広大無辺の功徳(くどく)にあやかっているのです。

法華経には「童子がたわむれにでも砂で塔をつくれば、それでも仏道を行じたことになる」とか「法華経のあるところは、樹の下でも、山でも、谷でも、野原でも、どこでも塔を建てて供養しなさい。そこは諸仏の道場であり、仏さまのおられるところだ」と、塔を建てて供養することを勧めています。

このお塔婆に、真言やお題目、経文などを、戒名・法名とともにお書きすることによって、塔を建てる功徳と、写経供養の功徳との二つを、亡き人の追善供養として、お供えすることになるのです。地域によっては、初七日から四十九日の満中陰まで、七日目ごとに、いわゆる「七本塔婆(しちほんとうば)」を建て、その功徳力で、故人の精霊を資助しようと、塔婆供養をされるところもあります。

浄土真宗では、塔婆供養の観念はなく、従って、塔婆を建てることはありません。

合掌
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