先祖を祀る

先祖を祀る

東光院萩の寺住職 村山廣甫

「花の香りは風に従ってゆくが、よき人の香りは風に逆らってもゆく」という法句経の言葉があります。ご先祖さま方が、幾多の困難をも乗り越えて努力してこられた結果として、私たちは、今、ここに生命を授かり存在しています。この不思議な巡り合わせに思いをいたすとき、私たちは、自分たちの生命の源であるご先祖さまに、手を合わさざるを得ないでしょう。人は一人で生きていけるものではありません。この世に生を受けさせてくれた両親の思い、兄弟姉妹、師友、先輩は言うに及ばず、目に見えない無数の思いによっても支えられ、育まれてきたのです。今、生きてここに居るというそのこと自体、この世界が必要としているからなのだと、釈尊は説いておられます。無数の思いに支えられ、育まれてきた自分、とりわけご先祖さまが自分に寄せられている思いには、さらに、深いものがあることでしょう。この大恩あるご先祖さまの思いこそ、「よき人の香り」と考えられます。このよき人の香りを全身に浴びて生活している今の自分に気が付いたとき、人は自分たちのご先祖さまに対する感謝の念と、それに報いようとする報恩の気持ちを起こさざるを得ません。今の自分が依って立つ現実社会での生活態度への反省に繋(つなが)ってくるのです。

ご先祖さまを追慕し、おまつりすることは、とりもなおさず、ご先祖さまに対する報恩行であるばかりでなく、今、私たちを現世に生まれさせ育んでくださったご先祖さまそのものの偉大な心と姿を受け継ぐことにもなるでしょう。また、感謝の念に満ちた生き方は、人や物をも人切にし、その周囲を明るくし、必ず人生においてその人に真の幸福をもたらすことでしょう。四季のある美しい日本で、私たちの先人たちは、年に二度、お盆と正月に、ご先祖さまの里帰りを願い、共に食する機会を持っていました。また、春秋の最も気候のよい両彼岸には、そのお墓参りをして、二週間、自己の生活の反省をして、仏の教えの実践に励んできたのです。
静かな池に小石を投げよ
円い波紋が大きく大きく拡がって
どこまでも延びてゆく
人間の考えも行いも
善悪ともにひとたび動いた心の波は
永遠に延びてゆく
正しい波・喜(よろこ)びの波の源(みなもと)をつくろう

人間国宝であった今は亡き十三世片岡仁左衛門さんは、ご先祖への供養こそ、人生を幸福に送る日本の知恵であると述べておられます。師の場合は、父祖への敬愛のこころが、その出発点でした。

物で栄えて、心で亡ぶ———その物を買うにしても、自動販売機やセルフサービスのスーパーが立ち並ぶ昨今、人と人との心の交流の場は、益々せばめられて来ています。その風潮は、職場や友人関係のみならず、人生のオアシスであるはずの家庭内にも浸透して、今や自我の衝突をくり返す、ぎくしやくした人間関係に、自他ともに疲れ果てているのが現状です。ストレスという言葉は、自分自身ではどうしようもない、精神の緊迫状態を表わす慣用語として、日常生活に定着しています。このようなことで、いいはずがありません。

ご先祖をおまつりすることは、人生のなかで、私たちが実行できる数少ない“善行”の一つです。都会の閑静な住宅地の真っ只中で、千三百年の萩が咲くように、私たちもまた、長い生命(いのち)の連続のなかで「今、ここに在る」のです。また木や草や山や川がそこにあるように、人間もこの自然のなかにあるからには、ちゃんと意味があって生きているのです。それもあらゆるものとつながりを持って……。そのつながりの中で、私たちは、大事な役目をしているのです。

ご先祖さまへのおまつりは、自分をなり立たせている、目に見えない“つながり”への目覚(めざ)めをもたらします。運命と闘い、元気に生きる力を与えてくれるのです。

文明が進むにつれて人間の欲望はつのり、その煩悩の炎はどんどん大きくなり、その炎のために、現在、世界各地でさまざまな悲劇が起こっています。限りないこれら人間の欲望は、いずれは地球のみならず、全世界を滅ぼしてしまうかもしれません。今、進行しつつある地球環境の破壊にストップをかけ、戦争のない平和な世界の実現を願うためにも、私たち一人一人が、今こそ仏陀の説かれた「共に生きる」という信仰を実践する生活に立ち帰るべきです。大地に水が浸みとおり、くまなく草木を育て、花を咲かせて行くように、ご先祖まつりの実行は、私たちの一回限りの人生に、成功と幸福の花を咲かせ、その実を結んでくれることでしょう。

合掌
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