先祖を祀る

お盆のこころ

東光院萩の寺住職 村山廣甫

わが国の仏教において、最も重要な「ご先祖まつり」の年中行事としては、春秋の両彼岸の墓参法要と夏のお盆のお施食(せじき)法要をあげることができます。

この三つの時期には、ご先祖の霊(みたま)が自分の家にやってきて家族たちを訪れ、その安泰を見て喜び、親類緑者からのお供養を受けてこれに満足するとともに、彼らを守護することを願うようになるとされています。つまり、この三つの行事は、祖先の霊とその子孫縁者との、交歓の機会であるといえるのです。

お盆とお正月

私たち日本人は、おめでたいことがあると、「盆と正月が一緒に来たようだ」と、よく言ったりします。また、お正月とお盆の時期には、ほとんどの人が仕事を休みます。まさにお盆とお正月は、私たちにとって最大の年中行事なのです。

ところが、お盆もお正月も、もともとは祖先崇拝の「御魂(みたま)まつり」として同一の行事でした。正月に御魂まつりが行われていたことは、『徒然草(つれづれぐさ)』の十九段に「つごもりの夜──なき人の来る夜とて、魂(たま)祭るわざは、この頃都にはなきを、あづまの方には、なほすることにてありしこそ、あはれなりしか」と記されていることからもうかがえます。

さらに、子供たちにとって特別楽しい「お年玉」の風習も、御魂まつりの一行事で、目上(親)が目下(子)に、自分の身魂(みたま)(玉)を分け与える心意気から生まれた贈り物として、おトシダマとは「年(とし)の魂(たましい)」を意味していたのです。

古来、わが国では、一年を二分して、お正月と七月をその始まりと考えていました。さらに、中国前漢時代の一年を三分する、上元(一月十五日・小正月(こしょうがつ))・中元(七月十五日)・下元(十月十五日)の道教思想が伝来して、中元にあたる七月十五日が一年後半の始まりとして、お正月と同じ御魂まつりの日とされたのです。

中元の七月十五日は、お釈迦さまのお弟子である目連尊者(もくれんそんじゃ)が、餓鬼(がき)世界で苦しむ母を救った話に由来する、お盆行事の日でもありました。ここに、中国でも日本でも、「お中元」と「お盆」は、ほぼ一体と考えられるようになっていったのです。

今に続くお中元贈答の風習は、昔の生見玉(いきみたま)(魂)の行事──たとえば、嫁入りした娘が、里帰りして両親に贈り物をしたり、遠方にいる子供が親のところに帰って孝行する──の名残だといわれています。

薮入に戻って京の踊りかな───許六

薮入りも先祖まつりの重要な日だったのです。(旧正月、七月十六日)

生見玉(魂)は、生身魂、生見魂ともいい、この日は生きた「みたま」と対面、食事をともにし、お互いの健康、長寿を祝うのが慣例でした。この生見玉(魂)の風習は、お盆という仏教行事と結び付くことによって、より発展し、死者と生者が交流する独特な民間仏教行事として、現在、日本人の心に深く根を下ろすに至っています。

お盆の時期に発生する“帰省”という名の民族大移動は、外国にその例がなく、今やお盆は日本人にとって、年間行事のハイライトともいえましょう。

お盆の意義──父母・ご先祖さまへの孝順心

お盆は正しくは盂蘭盆(うらぼん)といい、一般に、古代インド語サンスクリットのウランバナ(ullambana)の音訳で、「倒懸(とうけん)」つまり、「逆さまに吊るされているような大変な苦しみ」と訳されています。

  • お釈迦さまは、四十五年間も遊行(ゆぎょう)という説法の旅を続けられました。しかし、四月の十五日から七月十五日までの約三カ月百日間は、この遊行を中止しなければなりません。なぜなら、この期間はインド特有の雨期のため、お釈迦さまはお弟子たちに、それぞれ適切な場所を求め、坐禅を専らとする日々を送ることを教えられたからです。その修行を「雨安居(うあんご)」もしくは「夏安居(げあんご)」と呼びます。

    やがて、雨期が終わるころの七月十五日には、お弟子たちは全員お釈迦さまのもとに集います。そして、お互いに雨安居の中で、もし自分の言動に仏弟子として反省すべき点があれば、指摘してほしいと願い、自ら気付いている過ちは会衆の前に俄悔(ざんげ)して、二度と同じ過ちは繰り返さず、善き行いを進んで実践することを誓います。この聖なる集いを「自恣(じし)」と呼びました。

    お釈迦さまは、この雨安居を終えた自恣の日に、お弟子たちに、まごころを込めた食べ物や飲み物をご供養することを薦(すす)められました。そして、その功徳(くどく)は、計り知れないほど尊いものであることを説かれたので、やがて後世、日本で仏教のこのような習わしと、日本古来の「御魂まつり」の習慣が重なり、七月十五日を中心にして、亡きご先祖に対しても同じように供養するという、現在のお盆行事が形成されていったのです。

    したがって、お盆は、「御魂まつり」であると同時に、大切な「修行」のときなのです。

  • ご先祖の霊にご供養することは、ご先祖から自分へ、そして後の世へと伝えられていく、「永遠の生命(いのち)」の流れに目覚めることにほかなりません。

    亡き人の「あの世」と、「この世」に生きる私たちの隔(へだ)てが取り払われて、先祖と子孫が久々の出会いを喜び合う「生命(いのち)の集い」の日です。その出会いの喜びは、み仏の教えを正しく信じ、行ずることと、祖先を慕う純真な心が相まって、初めて生まれるものです。お盆の供養も、忙しい現代生活の中では、ややもすると簡素化され、形式だけになりがちですが、一年に一度の大切な行事ですから、精一杯まごころを込めて、お勤めいたしましょう。

    道元禅師(どうげんぜんじ)さまも『正法眼蔵』供養諸仏の巻で「かくのごとくの供養、かならず誠心(じょうしん)に修設(しゅせつ)すべし」と、み仏への供養の心構えをお示しです。

    私たちも、お盆を迎えて、まずご先祖へ「まごころ」をお供えしたいものです。そうすれば、ご緑のあるなしにかかわらず、すべての「御魂」にお供養させていただきますという、純粋な仏心(ほとけごころ)も芽生えてくることでしょう。このように、お盆とは、ご先祖ばかりでなく、万霊(ばんれい)に対して丁寧にご供養し、その功徳によって、生きるものも、死せるものも、互いに喜び合うことができる尊い法会(ほうえ)であるといえるのです。

  • 人生は、インドでは“河の流れ”に、日本では“旅”にたとえられることが多いといわれます。盂蘭盆会の起源が、二千五百年以上も遠い昔の、お釈迦さまの時代までさかのぼることを思えば、私たちはご先祖とともに、お盆を通じての修行を、河の流れのように長い歳月をかけて続けてきたのです。やはり人生は一種の“旅”かもしれません。禅語に「帰家穏座(きかおんざ)」という言葉があります。真実の落ち着きと心の安らぎをもたらすことをあらわした言葉です。

    家族や親しい人が元気に集い、お仏前に供えられた「ふるさとの味」を、ご先祖といっしょに堪能して、人としての正しい信仰の日々を過ごすことは、「行」による大切な供養です。

  • また、自分が今日までに受けた、数多くの人々のおかげを思い、ご先祖の前で自分の考え方、生き方に誤りはないかと、静かに反省の時間を持つことが大切です。盂蘭盆の語源であるウランバナが意味している「逆さまに吊るされているような大変な苦しみ」とは、とりも直さず、私たちの今までの考え方・あり方と、その考え方・あり方によって起こる苦しみの様子をあらわしているとも考えられます。たとえば、

    • 1.大切なものを粗末にし、どうでもよいことを大切にしているのではないか
    • 2.急がなければならないことを後にして、急がなくてもよいことを急いでいるのではないか
    • 3.覚えていなくてはならないことをすぐ忘れ、忘れてしまえばよいことをいつまでも覚えているのではないか
    • 4.聞かなければならないことを聞かないで、開かなくてもよいことを聞いているのではないか
    • 5.しなければならないことをしないで、してはいけないことに励んでいるのではないか

    このように数えあげていくと、際限がないくらい私たちの苦しみは、逆立ちした考え方・あり方から起こっていることがわかるでしょう。逆立ちしていながら、私たちは自分がまともに立っていると思っていますから、いつまでたっても苦しみから離れることができないのです。

    東大宇宙研究所の糸川英夫博士のベストセラーに、『逆転の発想』という本があります。忙しい忙しいの生活だけでは、いつまでたっても自分が逆立ちしていることには気付きません。そこで、自分のあり方を二、三日ゆっくり振り返って、点検してみる時間を持つことが大切なのです。

    短い時間ながら、お盆の中で得た、心の安らぎと感激を忘れないで、誰もが仲よく生きていくことを、ご先祖にお誓いし、永遠に、人類が平和で住みよい社会で暮らせるように努めたいものです。

木蓮尊者(もくれんそんじゃ)と盆踊り

中国でつくられた経典とされる『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらんぼんきょう)』や『仏説報恩奉盆経(ぶっせつほうおんぶぼんきょう)』によると、お盆の行事は、お釈迦さまの十大弟子の一人である目連尊者(モッガラーナ)と亡き母親との物語から生まれたものです。

目連尊者は、いながらにして世界の出来事を見たり、聞いたり、他人の心を見通すことのできる神通力(じんつうりき)を持っていたので、「神通第一」と称(たた)えられた方です。

ある日のこと、目連尊者は、父母の恩に報いようと思い、神通力を持って死後の世界を見てみますと、亡き父は幸い天上界に生まれていましたが、亡き母は餓鬼道に落ちてやせ衰え、苦しんでおりました。

驚いた目連尊者は、神通力でお鉢にご飯を盛ってお供えし、食べさせようとしました。しかし、母が食べようとすると、その食物は、口に入る前に炭火となって燃え、食べることができません。眼前に、母の倒懸(とうけん)の苦しみを見た目連尊者は、悲しみのために泣き叫び、お釈迦さまに救いを求めます。

お釈迦さまは「目連よ、おまえの母は欲深いところがあったので、餓鬼道に落ちた。母を救いたいだろうが、一人の力では何ともすることができない。だが、七月十五日は、修行僧が一堂に集まり、それぞれが過去を反省俄悔(ざんげ)して、仏道修行に励もうと誓う日だ。この雨安居(夏安居)の終わった僧自恣の日に、皆さんに“百味(ひゃくみ)の飲食(おんじき)”のご馳走を差し上げ、父母のために、苦を抜き楽を与えてくださるように頼みなさい。たくさんの憎が、心から唱えるお経の功徳は、必ずや亡き母を、餓鬼道から救うことでしょう」と諭(さと)されました。

目連尊者は、その教えに従って“百味の飲食”を供養し、衆僧(しゅそう)は、施主目連のために、七世(しちせ)の父母の成仏を祈願したので、その功徳により、母は餓鬼道から救われ、倒懸の苦痛を脱して、無事成仏することができました。

母が苦しみの餓鬼世界から救われたことを知った目連尊者は、その喜びを身体中(からだじゅう)で表現しました。その姿は踊っているようでした。これが「盆踊り」の始まりとされています。とてもうれしいことがあると、人は「小踊りして」その喜びを身体中で表現するのが普通です。

四五人に月落ちかかる踊りかな──蕪村

曹洞宗の大本山總持寺では、お盆の行事として、修行中の若い雲水さんたちと鶴見大学の学生さんたちが一緒になって、盆踊りをするのが恒例となっています。盆踊りは、祖先たちの霊のために踊る「魂の鎮送」として、大切な仏教習俗の一つといえるでしょう。

さて『大目乾連冥間救母変文(だいもっけんれんめいげんぐもへんもん)』中に、なぜ目連尊者の母親が餓鬼道に落ちたかが記されています。目連さまの家は資産家で、いくつもの宝蔵を持っていました。日連さまは出家するとき、母親に、すべての宝蔵を乞う者には施すように頼んで行きました。母親は青達夫人(しょうれんぶにん)というお方でしたが、最初のうちは言われたとおり、人々に施していたのですが、宝蔵が残り少なくなったとき、せめてこれだけはわが子目連のためにと、その後一切の施しを止めてしまったのです。このとき物惜しみをした業によって、母親は餓鬼道に落ちたというのです。

親は子のために犯さなくてもよい業を、あえて犯し、そのために苦しみの中にあえいでいたわけです。

私たちは、何事もなく成長し、自分の力で現在の生活を得、少しも他人に迷惑をかけていないと思いがちですが、決してそうではありません。私たちの知らないところで、父母はわが子や孫の可愛さのあまり、他人から怨みをかったり、他人を悲しませたりして、仏教にいう地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)、修羅(しゅら)の世界の苦しみを受けているかもしれないのです。

また、目連尊者の母親を救うためには、“百味の飲食”という、広く人に施しをするという行動以外に道はなかったという“施食(せじき)”の教えは、餓鬼に象徴される貧(むさぼ)り、欲求不満の心を乗り越える「布施(ふせ)」の功徳を、釈尊自らがお説きになった例として、心に留めるべきでしょう。

七夕(たなばた)まつりとお中元

七夕の歌書く人によりそひぬ──虚子

七夕まつりはお盆前の禊(みそぎ)の行事だった

地方によっては、「七日盆」というお盆の行事が残っているところがあります。七日盆とは七月七日の七夕のことで「盆始め」とも呼び、盆行事が始まる日と考えられています。

本来、「盆花採り」もこの日に行うのが正式でした。盆花は精霊花(しょうれいばな)、ホトケ草とも呼ばれ、桔梗(キキョウ)、女郎花(オミナエシ)、萩(ハギ)、百合(ユリ)、酸漿(ホオズキ)、溝萩(ミソハギ)などの一種類または数種類を用います。

また、七夕の竹を川や海へ流す「七夕送り」は、精霊送りと同じで、それが独立したものと考えられています。

実際、昔は屋外の盆棚や精霊棚のことをタナバタと呼んでいました。施食棚にかける青黄赤白黒の五色幡(ごしきばた)も、タナバタのハタの変形です。

このように七夕まつりは、元来はお盆行事の一つとして、先祖の霊をまつる前の、禊の行事だったのです。それが後に、中国伝来の星まつりと融合、現在の形になりました。

お中元は生身魂(いきみたま)の行事の延長

中元や老受付へこころざし──風生

日本では、お盆に親しい者、目上の人に対して、「お中元」と称する贈り物をする風習があります。お盆には、ご先祖の霊をおまつりするだけでなく、生きている父母の霊にも感謝し供養する、生身魂(いきみたま)(玉)の行事が本来含まれています(135ページ)。

最も一般的には、嫁が刺鯖(さしさば)や小麦粉を持って里帰りをしたり、名付親や仲人親に盆礼に行く形で行われたのです。それが、やがて知人や親戚、さらに、お世話になった方々に対しても行われるようになりました。

お中元品の贈答は、この生身魂の行事が一般化したものであり、お盆行事での色彩を、濃く反映していることがうかがえるのです。

節分星まつり

一年を三分する上元・中元・下元に対して、季節の分かれる時という意味で一年を四分する節分があります。今はもっぱら立春に限っていうようになり、俗に「年越(としこ)し」とも呼ばれています。この節分の夜には「追儺(ついな)」の儀式が行なわれ、「豆撒(まめま)き」の行事のあることは、皆人の知るところです。古来より節分は、晦(みそか)と同じく、百鬼の夜行する時と考えられて来ました。新しい季節を迎えるに当たって、邪鬼を払うため、俗に豆が魔目、魔滅に通じるところから、豆を打って鬼の目をつぶし、魔を滅するようお析りします。また同時に、各人のその年の運勢をも開いていただくため、星供(ほしく)がなされます。月三日を中心とする節分星まつりは、年男の風習をも生み、今は一年に一度の「厄落とし」と「開運」の伝統行事として深く一般に信仰されています。

合掌
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