先祖を祀る

年間法要はいつまで続けるのか

東光院萩の寺住職 村山廣甫

すでに述べてきたように、中国では、初七日から四十九日までの七日ごとの供養に、百カ日、一周忌、三回忌を加えた「十仏事」が重要視されています。一方、日本では、この十仏事に、七回忌、十三回忌、三十三回忌を加えた「十三仏事」が重要視され、さらに十七回忌、二十五回忌を加えた「十五仏事」となりました。現在では、この二十五回忌を二十三回忌と二十七回忌に分け、十六回の年忌供養を行うことが一般化しています。

清浄本然(しょうじょうほんねん)の三十三回忌

現在わが国では、三十三回忌を最終の年忌とすることが多く、これを「弔(とむら)い上げ」「問切(もんき)り」などと称しています。三十三回忌は「清浄本然忌(しょうじょうほんねんき)」といわれ、どんな罪を犯した人であろうと、無罪放免となり、その人本来の天性である清浄な姿となって極楽往生できるようになるという意味の法要です。

ここに死者は、天地宇宙の生命である自然に回帰するのです。そこで、最終年忌には「うれつき塔婆(とうば)」や「杉塔婆(すぎとうば)」といって、先端に生木の葉の付いたお搭婆を建てたり、また「角搭婆(かくとうば)」を建てる風習もあります(ただし、浄土真宗ではお塔婆は建てません)。

死者の霊は、このような長いお供養によって清められ、鎮められて、だんだんにその個性を失いながら、代々の祖霊の中に融け込んでいき、ついには、この弔い上げによって、ご先祖さまとして祖霊に昇華し、その家や地方を守る守護神になるとされているのです。

敗戦後三十三年目にあたる昭和五十三年には、仏教界では、多くの南方戦跡の遺骨収集団が組織されました。弊師も曹洞宗の団長として、マレーシアからシンガポールにかけ、日本兵の遺骨収集と慰霊を実行し、宗教家としての務めを果たしてまいりました。この一事からみても三十三回忌は大切な法事の一区切りといえましょう。ただし、今は亡き戦友を弔うにしても、三十三年を経たとはいえ、残された者が胸に持つ思いは、まだまだ生々しいものがあります。三親等以内であれば、自分の存命中は、ご供養させていただこうとの気持ちを持つことが大切でしょう。

五十回忌(阿圓忌(あえんき))

一般的な例からいえば、現在は、五十回忌を、故人の年回法要の打ち止めとすることが多いようです。普通は孫の代になるかもしれませんが、五十回忌を勤めることは、その一家にとっても幸せなことです。五十年も経てば、亡き人の個性は極端に薄められ、その霊性は浄化され、仏さまの大きな慈悲の世界に融合して、私たちをお守りくださる存在となるのです。

五十回忌の追善供養は、故人の霊が、仏さまの世界で、永遠の真実の幸福を得たことをお祝いする、という意味でも重要です。したがって、親の五十回忌を勤めることは、子孫が繁栄していることをお祝いする慶事であるとも考えられます。五十回忌の法事で、お供えのお餅やおまんじゅうを、地域によっては紅白とするのもその表われです。

何世代にもわたって一貫した菩提寺を持つ熱心をお寺の檀家もしくは信徒は、五十回忌までお勤めして打ち止めるのが通例です。しかし、五十回忌が済めば、それでよいというわけではありません。現にその後の百回忌の法事をお勤めされる一家もあります、数百年を経た上でなお、亡き人の法事をお勤めできることは、非常に喜ばしいことといわねばなりません。

このようなお勤めは、年回法要というより、むしろ「ご先祖まつり」といったほうがふさわしいといえるのです。それは、ご先祖さまから代々伝えられた命を喜び、感謝を捧げる貴重な一日を醸成することになるでしょう。

寄進(きしん)と永代供義(えいだいくよう)

仏さま(仏)・仏さまの教え(法)・お坊さま(僧)の三宝や、ご先祖・父母・師長・亡き人に、物を捧げお供えすることが、すべてご供養になることはすでに述べたとおりです。読経することは「行供養(ぎょうくよう)」といわれ、ご馳走をしたり、品物を進呈するのは「利供養(りくよう)」、お寺へ仏具や衣装束などを寄進するのは「敬供養(けいくよう)」とされています。

三十三回忌や五十回忌での年回法要の打ち止め時には、寄進や永代供養(えいだいくよう)(浄土真宗などの「永代経(えいたいきょう)」ではない)をさせていただく場合に多いようです。法事のお布施とは別にご供養させていただくのです。

寄進(敬供養)

故人の年忌にあたって、故人の追善のため、施す者が功徳を積むために、日頃からお世話になっている菩提寺に、後世に残る仏具や法衣(ほうえ)等を寄進します。この寄進は、自らの信仰と意志に基づいて、いつさせていただいてもよいのですが、故人の精霊がご先祖さまへ昇華される三十三回忌や、ご先祖まつりの端緒としての色彩を帯びる五十回忌には、ぜひともさせていただきたいものです。

寄進させていただきますと、その什物(じゅうもつ)(お寺の宝物)に故人のお戒名(ご法名・ご法号)と寄進した施主(功徳主(くどくしゅ))の名が入り、永久に残ることになります。故人のご供養となるのはもちろん、後世においても、敬供養を行った施主の偉大さは称えられ、子孫の名誉ともなるのです。

什物である仏具や法衣を寄進するには、何を寄進したいかをまずご住職と相談し、納める品物を決定してから現金で納めます。ただし、仏具や法衣、お袈裟(けさ)などには極めて高価なものもあるので、そのような場合は数人で寄進することもあります。

永代供養(えいだいくよう)

現代の日本は、子供が少ない上に、若い世代の信仰離れにより、お墓の承継や、ご先祖供養の相続が難しくなる例もまま起こってきています。

家が続かなくなったりして、ご供養する人がいない場合には、菩提寺に一定の命金額を納め、永代にわたってご先祖のご供養をしてもらうことを依頼しなければなりません。これを永代供養といいます。さらに、三十三回忌や五十回忌のとき、以後法事を営まず、その後の追善供養を菩提寺で代わりに行ってもらう場合にも永代供養をします。

菩提寺としては、永代にわたって追善供養し、墓地の管理もしなければならないので、永代料は極めて高額になります。

永代供養の際には、菩提寺のご住職に、お仏壇やお位牌、お墓、ご供養などの将来についてよく相談して、永代供養料を納めることになります。したがって、お寺によっては、永代供養というシステムそのものを受けない場合もあります。

なお、後継者については、直系の子孫がいなくても、傍系でもその菩提寺に入檀してお墓を守り、やがて、そこへ埋葬されようと希望する人がいれば、その旨をご住職と相談されるべきでしょう。

この永代供養と類似したものに、浄土真宗などの「永代経(えいたいきょう)」があるので注意を要します。永代経とは永代読経(えいたいどきょう)のことで、これは菩提寺の伽藍を護持し、永代に読経の声が絶えないようにとの亡き人の思いを汲んで、亡き人に代わって上納させていただく懇志です。

曼荼羅(曼陀羅)

曼荼羅はサンスクリット語の「mandala(マンダラ)」の音写で本質・すべてを持つものを意味し、漢訳は「総持(そうじ)」と訳されています。インド密教では修法を行う時、屋外の浄地に方形、円形、三角形などの壇を築き、その上に仏・菩薩などの像を安置してその壇をマンダ・ラと呼びました。この神聖な壇には、諸仏・諸菩薩が充満し、仏の悟りの境地に入るための、すべてのダルマや徳が備わっていると信じられたのです。

この修法は、古代バラモン教の諸神の来降を求めた呪術的な祭儀を仏教が承継し、発展させたものですが、修法を行う度毎に、この壇は、必ず壊されるのが常でした。しかし、中国唐代に、善無畏、金剛智、不空などにより純密が伝えられ隆盛となると、壇は堂内に常時置かれるようになり、また、諸尊の像は紙や布に描かれ、掛けたり(掛曼荼羅)、床に広げたり(敷曼荼羅)して用いられるようになったのです。恵果の弟子となった空海がこの伝統をもたらします。

ところでこの数多い曼荼羅の中で最も重要視されるのは両界曼荼羅です。これは金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅の一対から成り、理智不二(りちふに)の密教的世界観を表わしたものです。前者は「金剛頂経」に所依してつくられ、画面が九等分されており、金剛のように堅固な、大日如来の悟りである知慧のはたらき(悟りの世界)を表わしています。また後者は「大日経」に依拠(いきょ)してつくられ、中央に八葉の蓮華があり、あらゆるものを守り育てる母胎のような慈悲のはたらき(現実の世界)を表わしているのです。

合掌
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萩の寺の永代供養