先祖を祀る

分骨について

東光院萩の寺住職 村山廣甫

釈尊が入滅されたとき、そのご遺体は茶毘(だび)(火葬)に付されて、残った舎利(ご遺骨)は、弟子たちに分骨されました。すでに述べた「仏骨八分(ぶっこつはちぶん)」で、この記述は『阿含経(あごんきょう)』の中の『遊行経(ゆぎょうきょう)』にみえます(103ページ)。これら分骨された仏舎利(釈尊のご遺骨)は、釈尊の死を悲しみ、その偉大な徳を偲ぶ仏弟子たちによって土中に埋められ、その上にストウーパ(塔婆)といわれる塔が建てられました。これが、仏教におけるお墓の起源であるといわれています。そして、この塔を中心に寺院が形成されていったのです。

このように分骨の起源は、仏教草創期にまで遡ることができます。しかも、分骨された仏舎利を護持し、その威徳を偲ぶということは、釈尊入滅直後より、仏教徒にとって最も大切な行事の一つだったのです。この歴史的沿革から仏教徒が行ってきた分骨には、現在、次の三通りの場合があります。

一つは、自分が恩を受けた亡き人の死を悲しんで、その徳を偲ぶため、その遺骨の一部を、できるだけ身近に納めておまつりをしていこうとする場合です。釈尊のご遺骨である仏舎利が八分されて―――正しくは、残った遺骨の灰とそれを納めた舎利容器を含めて十個に配分され、それぞれ仏弟子が護持してストウーパを建てて礼拝したというのは、まさにこれに当たるでしょう。また、宗祖や高僧のご遺骨を、分骨しておまつりすることもこれに当たります。最近では、奈良の薬師寺がその宗祖である玄弉三蔵のご遺骨を迎えたり、萩の寺がスリランカよりアヌラーダプラ仏舎利(釈尊のご遺骨)を迎えたりしています。

二つは、仏教に帰依した自分自身の遺骨を、仏や聖者のお墓に一緒にまつってほしいという願いから分骨される場合です。いいかえれば、故人のお墓とは別に、1宗祖、2敗人が深く信仰されていた霊場、3あるいは直接的に心の安心をいただく菩提寺に、遺髪や“咽喉仏(のどぼとけ)”などを取り分けて納骨するのです。火葬の場合には、故人の墓に納骨するための「胴骨」とは別に、すでに紹介した「本骨(ほんこつ)」が、この分骨のために用意されるのが普通です。また、かつて土葬が主流を占めた時代には、生前に抜けた歯や爪、あるいは遺髪を納めるのが一般的でした。

1の宗祖と一緒に眠るというのは、本願寺門信徒の大谷霊廟への分骨にその例をみることができます。最近では、各宗派の本山も、大規模な納骨堂を整備して、広く宗派の檀信徒の納骨を受け入れています。しかし、大規模になると、やはり菩提寺とその分骨する檀信徒との個別的な関係を老慮に入れない本山への分骨は、その運営は画一的にならざるを得ません。したがって、各宗派の本山といえども、分骨のためでなく、故人のお墓に代わる納骨そのものを、その営業政策上、宗派を問わず募集し、宣伝しているところもあります。そのご遺族の信仰生活上に不信を招く、さまざまな問題を惹起することにもなりかねないのです。そこで、本山に分骨されるときは、必ず、菩提寺のご住職に相談されるようお勧めします。宗祖のもとに眠けたいという、故人の遺志を実現するための分骨は、菩提寺の指導を仰いで、間違いのないようにされるべきでしょう。

2の霊場に分骨するという例としては、高野山・奥之院の灯籠堂をあげることができます。中世、高野聖(こうやひじり)の活動が盛んになって、奥之院にある空海霊廟の近くに、遺骨・遺髪を納めることによって成仏できると勧めたことから、高野山は日本の総菩提所(そうぼだいじょ)と信じられるようになりました。したがって、宗派の別なく、富める者や身分の高い人は、ここに墓所を設け、そうでないものは納骨したのです。また、かつて大阪の古い町下では、宗派を問わず“咽喉仏”は、浄土宗の一心寺(いっしんじ)(天王寺区逢坂)に納め、「お骨仏(こつぼとけ)」になるという風習もありました。

3の菩提寺への分骨としては、すでに江戸時代より、多数の信者を持った高僧が活躍していた古刹において、現在まで“咽喉仏”の分骨がなされてきています。この事実は、檀信徒関係の確立のためだけでなく、多分に1や2の要因をも含んでいると考えられます。自分に戒名や法名を授け、仏弟子としてその成仏を約束してくださる、戒師(かいし)さまと同じ墓所に眠りたいという願いは、戒弟(かいてい)としての孝順心の発露であるといえましょう。自分が信仰する御寺の境内に、墓所を求めることがほとんど困難になった現在、その宗旨の安心を図るためにも、将来、戒帥さまと一緒におまつりされたいと願うこの菩提寺への分骨は今後、一層その重要性を帯びてくることでしょう。

三つは、以上紹介してきたのとは異なり、宗教上の要因に基づかない場合です。たとえば、故人のお墓に納骨するだけでなく、同様に故郷の本家のお墓にも分骨するという場合や、妻はその実家のお墓にも分骨されるという場合です。また、最近では都会に出て事業を営んでいる人が、いつでもご先祖さまにお参りができるようにと、身近に「外墓(そとばか)」と呼ばれるお墓を建てて、故郷にあるお墓から分骨したり、分家初代となる人たちが、将来のために身近に自分のお墓を建て、そこに故郷のお墓から分骨してくる例がままみられます。これらも一様に「分骨」と呼ばれています。しかし、本来の分骨はすでに述べてきたように、“咽喉仏”である「本骨」を舎利器に容れて納める仏事を意味します。それは、故人のお墓とは別に、仏や聖者と一緒におまつりさせていただくことであり、仏弟子となった故人に代わって、ご供養する者が追善できる、尊い善行の一つなのです。その意味で、分骨される故人はそれだけで徳があり、幸せであるというべきでしょう。

遺骨を分けてはいけないという迷信

故人のお墓が菩提寺の境内以外にあるときは、どうしても菩提寺の家風や、その属する宗派の宗風は、薄れがちとなるのが一般的です。したがって、俗信が入り込む余地も多く、正信の安心を得ることは、非常に難しいといってよいでしょう。このような場合には、宗旨の安心のためにも、ぜひ菩提寺(それを通して本山)へのご分骨をお勧めします。また、忙しさから、ややもすると、亡き人へのご供養がおろそかになる恐れのある方や、積極的に菩提寺による適切な仏事信仰の指導を受けたい方なども同様です。

ところが、ご木骨と胴骨を、一緒に故人の墓地に納めることに、固執する方がままおられます。これらの人は、遺骨をバラバラにすることはいけない、という迷信に陥ってしまっているからです。迷信といっても、それを確信してしまうと、その人にとって、それは迷信ではありません。ましてや不合理な「霊障(れいしょう)」やタタリによる脅しは、世に満ちているのです。科学文明の発達した今日、霊障やタタリによって、日常生活が脅かされている人たちが多いという現象は、まさに奇異といえるでしょう。

この場合も少し考えれば、容易にわかることです。ご遺骨といっても、それはすでに火葬場で、最初からバラバラになっているのです。全部を収骨することは、ほとんど不可能なのです。遺骨の大部分は、火葬場に残骨として残ってしまいます。そして当然のことながら、これらの残骨は、まとめられてその火葬場で葬られているのです。したがって、ご遺骨を分骨すれば、霊障やタタリがあるとするなら、お葬式を出した人は、全員がタタラれるはずです。そのようなことは絶対にありません。ご先祖方が、今の私たちに伝えられた分骨供養のお作法は、深い信仰による智恵が生み出した尊い仏事です。安心して分骨されますようお勧めします。

巡礼三宝──巡礼すすめ3

霊場への納経集印には三つの方法があります。1笈摺(おいずる)2集印帖、3宝印掛軸(ほういんかけじく)です。
《おいずる》私たちは、こうしたいという自我と、そうさせてはくれない現実世界とのギャップに苦しみながら、すさまじい煩悩の炎を燃え上がらせて、日々の生活を送っています。尊い霊場札所の門をくぐるには、身を清めると同時に、心も洗い清めて、この煩悩の炎を消し去る必要があります。そのためにこの笈摺は、絶大を利益があるとされています。真白い笈摺を着用した内外光潔(ないげこうけつ)・無垢清浄(むくしょうじょう)の身で、ご本尊さまを礼拝することは、世法(せほう)を捨てて仏法を受持(じゅうじ)する尊い巡礼の姿といえましょう。さらに、あの世への旅立ちに着用して行くと、閻魔大王はその善行を誉め称えて、極楽往生を約束するといわれます。遺族の亡き人に対する追善が乗車券なら、この笈摺は、極楽往生への特急券といっても過言ではありません。
《集印帖》自己の納経の証果として、一人一冊、終生護持するものです。いわば尊いおふだ(宝牘)の集りと考えてよいでしょう。
《宝印掛軸》一家相伝の宝物として、箱書(はこがき)、開眼(入魂)して、慶弔いずれの時にもお出ししておまつりします。

これらは巡礼三宝と呼ばれ、何ものにもかえ難い大切な宝物として、霊場巡拝の大きな魅力となっています。

合掌
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萩の寺の永代供養