先祖を祀る

お盆のしきたり

東光院萩の寺住職 村山廣甫

お盆の時期

盂蘭盆の行事が初めて文献にあらわれるのは、『日本書紀』、推古一四年(六〇六年)「この年より初めて寺毎(てらごと)に四月八日、七月十五日に設斎(おがみ)せしめき」という一文です。これがわが国における盆会(ぼんえ)(「会(え)」とは仏教語で「法要」を意味する)の始まりとされています。

お盆は地方色豊かな行事です。岩手県などでは、七月一日を“盆入り”と呼び、「盆路(ぼんみち)作り」といって精霊(しょうれい)の通る道の草刈りなどをします。七月七日を「七日盆」と称して、お墓の掃除や家のすす払いをし、「池替(いけがえ)盆」と称するところもあり、七日から十二日の間に「花枝折(はなしおり)」といって、お盆のための草花を野山に採りに行く風習もあります。お盆の行事が「二十日(はつか)盆」「八朔(はっさく)盆」などといって、七月二十日、八月一日まで続くところも多く、七月十五日を中心として、地方ではその期間に長短がままあるのが現状です。

一般には、農作業が一段落する頃の七月十三日から十六日までの新暦のお盆、八月十三日から十六日の月遅れのお盆、それに旧暦のお盆と三種のお盆があり、同じ地域でも三種のお盆が入り乱れて営まれています。関西では月遅れのお盆が多く、関東では七月に行われるところが多いようです。いずれも十五日を中心に、十三日(もしくは十二日)を「迎え盆」、十六日(もしくは十五日)を「送り盆」といいます。

「迎え火」と「送り火」──キュウリの馬とナスの牛

迎え火や父に似た子の頬(ほ)の明り──子規

一般に「迎え火」は、お盆の始まりの日の夕方、十二日あるいは十三日の夕方に、門や玄関の前、軒先などで焚きます。今は亡き精霊が、家に帰り来るのに、道に迷わないようにとの願いから、伝統的には、陶器のおぼんや素焼きのほうろくなどに、オガラ(麻の皮をはいだ茎)や白樺の皮、地方によってはワラを焚いて、その灯火(ともしび)を道標(みちしるべ)とします。

墓地に近い家では、お墓参りをして、盆灯龍に火を付けお迎えしてきます。本来の迎え火はこの姿です。

マンションなどにお住いの場合は、建物の外で、カンの中に紙かオガラかロウソクを置いて、火を付けます。火が点じられると、その火に向って合掌礼拝し、ご先租の精霊がおいでになるように念じます。

迎え火を焚いたあとは、その火を移してお灯明をともし、盆提灯の明かりを付けます。また、お迎えの車である「キュウリの馬」を用意して、一刻も早く懐かしい家族の元に帰って来られるよう、精霊棚の上に向こう(内側)に向けてお供えしておきます。

十五日、あるいは十六日の夕方には「迎え火」を焚いた同じ場所で、「送り火」を焚き、合掌礼拝し、帰る道を照らして精霊を送り出します。墓地に近い家では、お墓参りをすること迎え火のときと同じです。お帰り用の車である「ナスの牛」は、亡き人の霊(みたま)がゆっくり後ろを振り返りながら帰って行くようにと用意する乗り物です。こちらへ(外側)に向けてお供えしておきましょう。ただし現在では、二種の乗り物とも迎え火のときは内側、送り火のときは外側に向けてお飾りすることも多いようです。

京都では毎年八月十六日の夜八時を期して、盂蘭盆の送り火を焚きます。有名な「大文字の送り火」がそれです。

精霊棚(しょうりょうだな)と精霊流(しょうろうなが)し

玉棚(たまだな)の奥なつかしや親の顔──去来

お盆の間だけ、ご先祖さまをお迎えするため臨時に作る棚を、精霊棚または盆棚(玉棚)といいます。盂蘭盆にあたっては、まず一年一回の大掃除の気持ちでお仏壇を清めます。仏具は丁重に扱い、精霊棚に下ろします。ご本尊さまもお位牌も全部棚の上に下ろしましょう。お仏壇は空になってしまうわけで、お盆の間は閉じておきます。

精霊棚にお供えする野菜や果物などのお盆のお飾りは、だいたい十二日頃になると、花屋さんか八百屋さんの店頭に一組まとめて並べられますから、それをお求めください。

このお棚は、迎え火を焚く前までに作っておかねばなりません。

伝統的には、お仏壇の前や座敷の床や縁先に台を作り、その上に「真菰(まこも)」を敷きます。ただし、真菰の手前は床まで垂らしておきましょう。餓鬼道世界で苦しまれ、力の衰えた精霊でも、よじ登って来られるようにとの、ゆかしい気持ちをあらわしましょう。オガラを組んで階段を作るのも同じ趣旨です。

次に棚の四隅に青竹を柱として立て、上の方に「真菰の綱」を張ります。そこに「盆花(ぼんばな)」を吊します。

昔からご先祖の精霊は、ふだんは山頂や原野にあって子孫を見守っている、と考えられてきたため、盆花はその依代(よりしろ)として、山野の草花がお飾りに使われるのです。ミソハギ、ガマの穂、粟の穂、栗の葉、ほおずきなどを吊して精霊をお迎えします(盆花については141ページ)。

真菰の綱は、この中にご先祖の霊が来られるという結界(しきり)を作るためです。提灯に見たてられた“ほおずき”や、家が長く続くようにと祈りを込めたソーメン、よろこぶにあやかっての昆布など、栗、桔梗(キキョウ)、山百合(ヤマユリ)、ひょうたんなども吊します。

そして、霊座と呼ばれる真菰のスダレのところには、ご本尊や先祖代々のお位牌を安座し、その前に三具足もしくは五具足など、お供養のための仏具をととのえます。霊前には、お霊膳や果物、野菜をお供えします。また、ナスやウリを細かく刻んで、水鉢の中、あるいはハスの葉か里芋の葉の上に置き、これに洗い米を混ぜた、「水の子」「水の実」などを、餓鬼、無縁仏にお供えします。ナスの種子が、百八つの人間の迷い(煩悩)に比せられていて、これを供えることは、“百味(ひゃくみ)の飲食(おんじき)”を、すべての餓鬼に施すことを意味しているのです。

また、蓮の葉に数滴の水をたらした「閼伽水(あかすい)」も別に用意します。

お参りするときは、この閼伽水をミソハギに含ませて、その水を「水の子」に注いでから拝みます。これは煩悩を鎮(しず)めるためといわれています。

さらにご先祖の霊(みたま)の乗り物とされる、迎え用のキュウリの馬、送り用のナスの牛を用意します。これは、ナスやキュウリにキビガラを刺して足とし、小豆(あずき)で両目を入れ、南天(なんてん)の葉をさして耳をつくり、尻尾はトウモロコシの毛を埋め込みます。さらに、サヤエンドウを鞍(くら)として置くと出来上りです。

現在、都会では青竹を手に入れることが難しいので、結界を作らない真菰のみの、簡易の精霊棚でご供養される例が多いようです。

ところで、浄土真宗では、自分の善行や施物を死者に回向するという「追善供養」の思想はありません。また、あの世に往った霊魂が、お盆とかお彼岸に帰って来るという考え方もありません。他界した人は阿弥陀如来の本願によって浄土に往生するという教義ですから、盂蘭盆会、施食会などはなく、お寺の一般行事として勤めるだけです。精霊棚を飾ることも特別にはしませんし、迎え火や送り火もいたしません。

したがって、実家が真宗であり、嫁いだ家の宗派が真宗でない場合は、よくよく注意する必要があります。逆もまた同様です。真宗では、お盆だからといって特別なことはしません。お仏壇には仏花を飾り、お仏飯のほか簡単なお供物を供えます。ただし、地方によっては、ソーメンや野菜を供える習慣もあります。水、生米、茶、酒などは供えません。お香には普通、抹香とお線香を用います。

要は、儀礼に関する細かい習俗にこだわらないで、普段からの阿弥陀仏への信心を重視しているのが真宗なのです。

お盆には、真宗を除いて、この精霊棚(盆棚)を設ける宗派が多いので、詳しく菩提寺のお坊さまにお尋ねしてください。もっとも最近は、お仏壇の中の手前に、お盆ならではのお飾りやお供えをすることが多くなりました。この場合は、お仏壇のお霊膳の左右に水の子や閼伽水、ハスの葉、季節の初物など“百味の飲食”をお供えします。

お盆の間はご先祖の霊(みたま)といっしょに、ご先祖さまも家族同様のお給仕をお受けになります。参考までに、曹洞宗の標準的な一家が、お盆に営む伝統的なお供えの献立表をご紹介しましょう。

精霊棚でしばしの休息をされたご先祖さまも、お盆の終わりの日の夕暮に本地(ほんぢ)にお帰りになります。

精霊流(しょうろうなが)し(灯籠流(とうろうなが)し)は、お盆のお供え物やお飾りをのせた精霊舟(燈籠舟)に火をともして、川や海に流す心ゆかしい行事です。日本では、古来より、ご先祖さまは山の方から来られ、海のほうに帰って行くと信じられていました。川は山に発し、海に流れて行くからでしょうか。燈龍を流すところもあります。これは「精霊送り」と「送り火」を一緒にしたものです。闇にたとえられる煩悩を、やさしい明かりで照らしながら、静かに流れ去る燈籠舟…その「ともしび」の行方を静かに見すえると、自分自身の心にも燈火をともし、自分以外のすべてをも照らしながら生きていくことが、とても大切に思えてくるのです。

棚経(たなぎょう)とお墓参り

お盆の棚経

ご先祖さまが精霊棚にいらっしゃる間に、お坊さまをお迎えしてお経を挙げていただきます。お経は「読(よ)」むものではなく、「挙(あ)」げるものです。精霊棚の前で挙げていただくので、「お盆の棚経」または「お盆参り」と呼びます。百味(ひゃくみ)の飲食(おんじき)を供えてご供養された目連(もくれん)さまの故事にならって、わが家のご先祖さまのみならず、一切の有縁(うえん)・無縁(むえん)の仏さまたちを、お坊さまと一緒にご供養いたしましょう。

お坊さまの迎え方としては、まず精霊棚を設けます。精霊棚のないときは、お仏壇をいつものように清浄にしておき、その前に台を設けて、盆花、盆飾り、盆供を供えましょう。とくに、お線香立ての香炉の灰の中もきれいにし、ロウソク立てには新しいロウソクを立てておきます。お霊膳は必ずお供えしましょう。まず、茶菓とおしぼりを用意しておきます。お盆の棚経が宗派としてのお勤めである場合、菩提寺のお坊さまは、お盆の限られた期間中に、全部の檀家と信徒のお家を、一軒一軒訪ねられて、ご回向されます。

お坊さまへの供養は三宝供養の一つ。暑い時節です、おしぼりの用意は大変喜ばれるはずです。

飲み物については、次々と何軒ものお家を回られますので、お飲みにならない場合もあります。しかし、お出しすること自体が、三宝供養となるのです。

このような全檀信徒の家を一軒一軒お参りする風習は、江戸時代の「邪宗門改め」に基づくものといわれます。

さて、棚経のときは、お経が始まるまでに、家族全員が精霊棚の前に隼まって一緒にお参りします。礼を失することのない服装で、テレビやラジオは消しましょう。扇風機などでお灯明が消えないよう風向きに心配りをしてお参りください。

また、お布施は、あらかじめ包んで用意しておきましょう。

お布施の包みは、既製の不祝儀袋か半紙を折って、墨か黒いインクで、「御布施(おふせ)」と書きます。読経料、回向料など「料」と書くのは失礼です。また棚経は、本来精霊棚の入魂増益(ぞうやく)法要としての性格を持っています。先祖代々の諸精霊のみならず、有縁・無縁三界の万霊にお供養する大切な法事と考えて、遠方から来られるときは出張されたと考えて「車馬料(しゃばりょう)」を、また、お昼どきなどには特に利供養としての「御膳料(おぜんりょう)」を包ませていただきたいものです。

仏教では、仏さま・仏さまの教え、お坊さま(仏・法・僧)の三宝や、ご先祖さま、それに父母、師長、有縁・無縁の亡き人たちの霊(みたま)に、物を捧げお供えすることが、すべてお供養となります。読経することは「行供養(ぎょうくよう)」ですし、ご馳走したり、品物を贈るのは「利供養(りくよう)」で、お寺に対し、仏具や法衣などを寄進するのは「敬供養(けいくよう)」といわれています。浄水供養(じょうすいくよう)や飲食供養(おんじきくよう)は、日々お勤めとして、お仏前にあげる茶湯水やお仏飯、お霊膳がそれにあたります。お盆を迎えるに際して、私たちもご供養のまことを尽くしましょう。

なお浄土真宗においては、精霊棚などの特別なお飾りはせず、従ってお盆の精霊棚へのお参りを意味する、棚経はありません。

お盆のお墓参り

盂蘭盆や無縁の墓に鳴く蛙(かわず)──与規

お盆にはまず、ご先祖の霊(みたま)をお墓に迎えに行くことから始まります。お墓で迎え火を焚き、「どうぞわが家へご案内します」というようにお迎えするのです。ですから、お盆の前日までに、お墓の掃除は済ませておかなくてはなりません。枯れた花やお線香の灰を取り除き、周りの雑草を刈り取っておきます。お供え物や水は、虫が付いたり、蚊の温床にならないよう、後片付けも考慮しておきたいものです。

お盆の期間中、わが家でゆっくりくつろいだご先祖の霊(みたま)は、お盆最後の日の夕方に、お墓まで送って行く気持ちをあらわして、家の前で焚かれる「送り火」によって、本地にお帰りになります。送り火を焚いたあと、お墓にお参りし、ご冥福をお祈りすることも大切です。

このように、ご先祖の霊を送迎するための、自分の家のお墓参りとともに、お盆にはもう一つ大切なお墓へのお参りがあります。それは無縁仏さまへのご供養です。

それは、「無縁さま」と呼ばれてご供養される、親類、縁者子孫がおいでにならない方々のお墓へのお参りです。そこに眠られる方々がどんなお方か、むろん知るよしもありませんが、ついこの間までねんごろなご供養がなされていたにちがいありません。私につながる方々であるとの思いで、ご供養していただけば、どんなにかお喜びになることでしょう。草を払い、お花や清らかなお水を差し上げ、お線香をおあげし、掌を合わせ、日頃お寂しいであろう無縁仏さまへ、そのご冥福をお祈りしましょう。

思えば私たち一人ひとりの歴史をさかのぼりますと、間違いなく、私もあなたも誰も彼も、緑あるもの同士になることなのです。私たちは「無縁」ではありません。「有縁」の糸で結ばれています。お盆は、亡き人と出会う尊いひとときなのです。

お施食会(せじきえ)(お施餓鬼会(せがきえ))

お盆には全国のお寺でお施食法要(せじきほうよう)が営まれます(もっとも浄土真宗では行いません)。施食会は、別名、施餓鬼会(さがきえ)、水陸勝会(すいりくしょうえ)とも呼ばれ、お供養をしてもらえない餓鬼世界の霊にご供養する法要で、誰でも救わずにおかれない仏さまの大慈悲をあらわす行事です。

蜩(ひぐらし)や山の施餓鬼の目盛に──白秋

菩提寺のお施食会には必ずお参りして、今、自分に与えられた生命(いのち)を尊び感謝して長生きを願うとともに、有縁無縁の三界万霊等に回向し、先祖代々の諸精霊(しょしょうれい)の追善供養を営みたいものです。

アーナンダさまと焰口餓鬼(えんくがき)

このお施食会の由来については、いくつかの説があります。なぜ始まりがはっきりしないのかというのは、わからないほど古くから行われていたからです。その中でも、最も信じられているのは『救抜焰口餓鬼陀羅尼経(くばつえんくがきだらにきょう)』にあるアーナンダさまと焰口餓鬼のお話です。

アーナンダさまは、阿難尊者(あなんそんじゃ)あるいは阿難陀尊者(あなんだそんじゃ)ともいわれ、お釈迦さまの従弟にあたられるお方です。この方は、お釈迦さまが五十歳を過ぎてからお亡くなりになるまで、お釈迦さまの侍者として常にお側にお仕えになっていました。それでいちばん多くお釈迦さまの尊いお話を開いておられたので、「多聞(たもん)第一」と称され、のちにお経の編纂(へんさん)のときに中心的な役割を果たした仏教の大恩人の一人です。

アーナンダさまは容姿端正で、面立ちも、眼も、肌も美しい男性であったため、女性の誘惑が多く、本人もまた愛情の深い方であったとみえて、お悟りを開かれたのは、お釈迦さまが亡くなってからだといいます。

さて、そのお話によると、まだ修行中のアーナンダさまが林の中で、坐禅しているとき、突然暗闇の中に、やせて亡霊のようなひ焰口餓鬼の姿が、夢か現(うつ)つのようにあらわれ、アーナンダさまに対して「あなたは三日後に死ぬ“相”があらわれている。そして死後は餓鬼の世界に生まれ変わるであろう」と告げます。驚いたアーナンダさまが「助かるにはどうしたらよいのか」とお尋ねになると「一切無量の餓鬼たちに飲食(おんじき)を施し、仏法の悟りを供養してくれれば、あなたも餓鬼たちも救われよう。そしてあなたは長生きをすることができるであろう」と答え、その場を立ち去って行ったのです。困りはてたアーナンダさまは、お釈迦さまに事の次第を訴え、教えを乞われます。

お釈迦さまはアーナンダさまに「施食棚に新鮮な山海の飲食(おんじき)をお供えし、修行僧に施食会の法要を営んでもらいなさい。修行僧のお経の法力によって、少量の供物は無量の供物となり、すべての餓鬼に施されるであろう。そして多くの餓鬼は救われ、お前も長寿を得られ、さらに尊いお経の功徳によって、悟りを開くこともできるだろう」と「施食(せじき)の法(ほう)」と、お祈りの呪文「陀羅尼(だらに)」をお示しになりました。

お釈迦さまのお教えどおりに実行したアーナンダさまは、ご自分も救われるとともに、多くの餓鬼をもお救いになりました。

このことがあってから、アーナンダさまは、常に餓鬼が救われるようにと「お施食(せじき)」をなさいました。そして、アーナンダさまが長生きをされたことは、多くの人々の知るところです。やがてアーナンダさまがなさったように「お施食」を行い、施しのできることを喜ぐ人々が増えました。お施食という尊い行事は、今も続けられているのです。

お施食とは

お施食会で救われる餓鬼(がき)とは一体なんでしょう。そういえばお腹がいっぱいなのに、おいしいものを見ると「もっと、もっと!」とおねだりするようなお子さんのことを、悪い言葉で“ガキ”などといいます。これは仏教語でいう“餓鬼”からきています。尽きることのない欲望を、満たすだけに一生を過ごした人が行きつく世界、「餓鬼道」のことをいっているのにほかなりません。

アーナンダさまは、お悟りを開かれる前、「私さえ悟りを開くことができればそれでよい」という自己本位の考えを強く持っておられました。多くの人々が修行して行く中で、ひとりよがりの人がいては困ります。心の餓鬼に落ちかけておられたアーナンダさまを、仏さまが焰口餓鬼という恐しい姿になってあらわれ、忠告し、お救いになったのにちがいありません。

私たちが静かに坐して、わが心を見つめるとき、この身、この心に住んでいる餓鬼に出会うはずです。いや、すっかり餓鬼になってしまっているのかもしれません。そんな自分を救う道が施食のお勤めなのです。

私たちがこの世でこうして生きていられるのも、自然界の生き物の生命(いのち)の犠牲の上にあることは否めない事実です。そこで、私たちがそうした犠牲に対して、感謝・反省・施しをする供養が、お寺で修せられるお施食会です。またこのご供養には、人々の長寿を願うことも含まれています。

ここで、お施食会における「感謝」「反省」「施し」のご供養の内容を考えてみましょう。

  • ご先祖さまが過去に築いてくれた目に見えない「恩恵」や、心の支えとなる故人の教えなど、今こうして幸せに暮らせること、また家を守り、心の悩みを受け止めてくださっていることに感謝しましょう。過去からの財物があれば、それに対する感謝も必要でしょう。そうした数限りない恩恵に対して、お施食供養の機会に、感謝の念をあらわしましょう。
  • つぎに動植物(肉・魚・米・野菜など)の生命を奪い、多くを犠牲にして食べていることに対して、申し訳ないという反省が必要です。食事の際に「いただきます」「ごちそうさま」というのも、施食の心のあらわれといえるでしょう。また、悪いなと思いつつ、ご先祖さまにそぐわないこと、他人に迷惑をかけたりすることをやってしまったり、欲望のみでつい走ってしまったことへの反省は実に重要です。反省が、また明日への生活の糧となるでしょう。
  • そして少しでも償いをしようという施しの心を持ちましょう。何か善いことをしましょう。生命を奪っている生物・動物に対して、何らかの形でお返しをしましょう。ご先祖さまをご供養し、菩提寺やお坊さまを大切にして、財物も寄進しましょう。お塔婆供養もさせていただきましょう。苦しんでいる人に救いの手をさしのべ、ボランティアに参加しましょう。そうした行為が功徳となって自分に返ってくるのです。

仏さまは「ガンジス河の砂粒の数ほどもある、飢え苦しむ餓鬼のために、まごころを込めて供養しなさい。供養する食べ物の多い少ないではなく、まごころがこもっていれば、計り知れない功徳があるのだから」と教えられています。

思うに、餓鬼というのは、私たちの生命の底にひそむ、暗くて炎のように燃えている欲望を象徴しています。それに対して、施しをするということは、自己を捨てて慈愛を実践するということです。しかも仏の悟りを称えるのは、欲望の物差しを捨てて、無我の物差しにすることです。

自己を先にすれば、世界は狭くなり、生命は縮まります。人のために慈愛を実践すれば、世界も心も広くなり、寿命は延びます。アーナンダさまの足跡を偲んで、一切の餓鬼と亡き人々と私ともども、このお施食の功徳によって、日頃の餓鬼道世界より救われ、安らぎをともにしたいものです。

お施食会は本来、お盆に限らずいつでも行うものです。しかし、お施食会は、本来お盆の起こりとしての目連さまのお母さんを餓鬼道より救う話と、お施食の由来としてのこのアーナンダさまが焰口餓鬼より救われる話が、ともに餓鬼の救済にあるとともに、その方法が飲食供養であることから、両者が混合し、お盆にはお施食法要がつきものとなったのです。お施食会を営み、三界の万霊等をご供養することは、その功徳が施主やそのご先祖にまで及び、ご先祖への追善となるのです。

五如来さまの働き

お施食棚の中央には「三界万霊等(さんがいばんれいとう)」のお位牌が安置されています。三界万霊等とは有縁、無縁三界の万霊、法界の含識等の略で、このお位牌をおまつりすることによって、欲界・色界・無色界の三つの迷いの世界に生きる、諸々の精霊をお供養する依代(よりしろ)としているのです。さらに、上方には五色幡(ごしきばた)を掲げて、施食会のご本尊である、五人の仏さまの尊号を印(しる)します。五色幡は、青・黄・赤・白・紫(黒)の五つの正色で、それぞれ宇宙万物の構成要素である、空(変化して分散)・地(堅く)・火(熱)・水(水分)・風(動く)の五大(103ページ)をあらわした幡です。

仏教では、幡を掲げることは、お釈迦さまの時代より、広大無辺の功徳があるとされてきました。五大、五色の幡に五如来さまの尊号を印し、五如来さまを称え、仏さまにご供養した幡の功徳を亡者のために回向して、飢えた霊を苦海から安らぎへと導いていただくのです。

お施食会で唱えられるお経の中には、五如来さまに南無帰命(なむきみょう)して、餓鬼の苦の救済を願う呪文(ダラニ)があります。五如来さまと呪文が願うその働きを紹介しましょう。

  • 多宝(たほう)如来(南方・宝生仏)は、布施をせず慳貪(けんどん)(おしみ、むさぼり)の業(ごう)をなしたために、餓鬼界に生じて苦を受けているものに対して、これを救済し福と智を円満ならしめます。「ギスギスしたところがなくなり、ふっくらしますように」
  • 妙色身(みょうきしん)如来(東方・阿閦仏(あしゅくぶつ))は、悪業(あくごう)のために餓鬼となり、裸体で醜陋(しゅうろう)の形相ある者を救済して、円満な相好を得させます。「醜い形を打ち破り円満な姿になりますように」
  • 甘露王(かんろおう)如来(西方・阿弥陀仏)は、餓鬼が飢渇にせめられて、糞尿や膿血を食とし、または飲もうとする水が、血や火の海となったりする苦悩を受けているのに、法味をそそいで飽満させ、苦を除いて心身を愉楽ならしめます。「法身にそそいで心に快楽を受けますように」
  • 広博身(こうはくしん)如来(中央・大日如来)は、餓鬼が身体は大きく口は針の孔のように小さく、のどが狭くなっているのを、呪食(しゅじき)によって咽喉(いんこう)を広大ならしめ、飲食を充飽させて快楽を得させます。「咽喉を広くして食べ物を受けさせるように」
  • 離怖畏(りふい)如来(北方・釈迦如来)は、餓鬼が裸体で疥疹ができ、糞尿汚物にまみれて悪臭あり、苦悩恐怖にあるのを悉く除いて、餓鬼身を離れさせます。「恐怖をみな取り除いて餓鬼の境涯を離れさせるように」

このように五如来さまの働きにより、餓鬼の罪や汚れがことごとく滅し、苦を離れ楽を得ることができるとされるのが、お施食法要の功徳なのです。

お施食とお塔婆(とうば)供養

亡き人々を追憶し、速やかにお悟りの世界に入らんことを願う気持ちから、お施食はお塔婆を建てて供養し、その功徳の成就をはかります(104ページ)。なお、菩提寺からお施食会の通知があったときは、早目にお塔婆の申し込みをしておきましょう。当日は、お施食棚へのお供えを用意すると、より施食の精神にかないます。また新亡初盆、年回、五十回忌など特別の法要にあたるお施食会は、菩提寺のお坊さまの指導を受けて間違いのないようにしてください。

現在、主に用いられている板塔婆は、五輪の塔をあらわしています(103ぺージ)。お塔婆の姿は、仏教の説く「永遠の生命」を象徴したもので、一切が円満具足している仏さまのお身体そのものと考えられています。このお塔婆に、お経文とともに故人の戒名(法名・法号)を印して、礼拝・供養すれば、その功徳とご利益は、皆その故人の霊の上に注がれるといわれています。なお、お塔婆を建てていただくときは、「御布施」とは別に「御塔婆料」をお包みするのが一般的です。

川施食(かわせじき)(川施餓鬼)

水死、溺死者などのために、川中に船を浮かべ、あるいは川岸で施食会を営み、その供物を川に流す風習があります。これを特に「川施食」と呼んでいます。梁の禅僧宝誌によって始められた水陸会と、施食および盂蘭盆の精霊流しが習合したものと考えられ、宇治川における黄檗山万福寺の「水燈会(すいとうえ)」が最も有名です。

地蔵盆──子供たちが主役

京都を中心に関西では、八月二十三、二十四日に「地蔵盆」の行事があります。毎月のお地蔵さまのご縁日が二十四日、それが特にお盆の月の縁日を「地蔵盆」といって、盛んに行うようになったのです。有名な「賽の河原の地蔵和讃」により、地蔵菩薩は子供を守護する仏さまと信じられ、地蔵盆は子供が主役のおまつりといえます。

この日、子供たちは、茶菓の接待を受け、お地蔵さまにお参りして、ゲームや映画・人形劇などを楽しみます。子供たちの自主性を尊ぶすばらしい伝統行事の一つです。

地蔵和讃
これはこの世の事ならず
死出の山路の裾野(すその)なる
賽(さい)の河原(かはら)の物語
聞くにつけてもあわれなる
二つや三つや四つ五つ
十にも足らぬ幼児(みどりご)が
賽の河原に集まりて
父恋し母恋し
恋し恋しと泣く声は
この世の声と事変り
悲しさ骨身に透すなり
かのみどり児の所作(しょさ)として
河原の石を取り集め
一重積んでは父のため
二重積んでは母のため
三重積んでは故里(ふるさと)の
兄弟わが身と回向して
昼は一人で遊べども
日も入りあいのそのころに
地獄の鬼があらわれて
やれ汝ら何をする
娑婆(しゃば)に残りし父母は
追善作(ついぜんさ)善のつとめなく
只(ただ)あけくれの歎(なげ)きには
むごや悲しや不便(ふびん)やと
親の歎きは汝等が
苦患(くげん)を受くる種となる
われを恨(うら)むる事なかれと
黒鉄(くろがね)つくりの棒をのべ
積みたる塔を押しくずす
そのとき能化(のうげ)の地蔵尊
ゆるぎ出させ給(たま)いつつ
汝等いのち短くて
冥途(めいど)の旅に来(きた)るなり
娑婆(しゃば)と冥途(めいど)はほど遠く
われを冥途の父母と
思いて明(あけ)くれ頼(たの)めよと
幼きものを御衣(みころも)の
もすその内にかき入れて
あわれみ給うぞ有難(ありがた)さ
いまだ歩(あゆ)まぬみどり子を
錫杖(しゃくじしょう)の柄(え)に取りつかせ
忍辱慈悲(にんにくじひ)のおん膚(はだ)に
いただきかかえて撫(な)でさすり
あわれみ給うぞ有難き
南無(なむ)や能化(のうげ)の地蔵尊(ぢぞうそん)
おん・か・か・かび・さんまえい・そわか
合掌
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古来からの正式な伝統に則った永代供養が営まれます。
Tel. 06-6855-7178(永代供養直通)/Tel. 06-6852-3002(代表)
萩の寺の永代供養